夕子からのメール

2006年8月15日
以下メール文面要約。

●このたびの面倒な転居などの仔細は既に述べたとおりですが、再転居後のお互いの行き来については、あなたの提案に従おうと思います。
無論、他意はなく、ただ素直にそれを諒としてということです。

それにしても、これまでのあいだ、よく私たちの個人的情報などを公表しないで、じょうずに取り扱ってくれたことに、なんだか他人行儀だけど、けじめとして感謝します。

特に楽天日記などに関しては、事実と創作、脚色をたくみに配分して、私たちの生活と性質などを知らしめながらも、決して居所(きょしょ)などがわからないよう配慮して下さったことに、敬意を表すると共に、驚きの念をも抱き続けたことを記しておきます。

さて、再び古巣に戻ります。そして、あなたとは、少し以前とは違う交流となります。あなたの言葉を借りるなら、これもまた一興ということですね。
とりあえずここまで書いてお送りします。   夕子

ようやくログイン

2006年7月23日
ハッキリ書く。
ダイアリー・ノート主宰者がいくら「文系」を強調するからとは言え、ログイン時のパスワード失念への対策が全くなしとは、これは不祥事発生後、しばし言を左右する役人どもの開き直りに似て・・・はいないか。

しぼんでしまった。心に思うことをそのまま言葉に出来ぬ時、これを「語いが貧しい」と言う。
さて、何をやぶから棒にいきりたって書き始めたかというと。

ずいぶん書かぬうち、ログアウトになっていたというのか、ともかく、日記を書こうとしたら、「ログインせよ」との指示が出たが、こちらは忘れっぽいので、ユーザー何とかもパスワードも思い出せない。

あちこちに掲示板やサイトを持つ時、忘れぬようにパスワードなどを一つに絞ることにしているが、今回はログイン出来ない。
もう少し、気を練らせて、以前のメールアドレスなどを試すべきだったが、なまけぐせが、私をして、その試みにさえ気を向かわせることをせず、結果何日も経った。

そして今、以前のメールアドレスを入れたら二回ほどでログイン成った。
やれやれ。体力と共に気力もなえておるな。
楽天日記には書けない心境なので、いつものようにここへ書く。
今までは「訣別」、「訣別2」などと、まだ余裕のカケラが感じられるものだったが、今回は違う。

仔細を書く気になるかどうか、ただいまもわからないが、思いつくまま書く。
なお、ここに至っては、かつてのようにうわっついたように名前を書くのがイヤなので、単語登録で造語した。「某女」または単に「女」で通す。平成初め、某女が、亭主と破局寸前という頃、私にはしめたとの思いが確かにあった。

ただし、40が目前の己の年齢を考えると、子供を作る気はなかった。
某女は、「子供」が欲しいと切望の旨を力説したから、一旦白紙撤回した。
女は一度妊娠して掻爬(そうは)したと言った。のちにウソとわかったが、一念を思いやった。これが誤算となった。

私は再び三たび話し合いに応じたが、相変わらず「産みたい」の一点張りだった。
私は私で依然己の年齢を訴えた。女は「母子家庭でいい」と言い張る。
この時、私の塾はまだ収入安定の初めの時期にあり、衣食の余裕が有り余っていた。

私はあえて定義とは違う言葉で「私生児を産むも同然で、子供が可哀想だ」とこれは世間の常識を告げたが、もはや相手がいないと言う。
長い付き合いゆえ、情が移ってはいたが、軽々しい返事は必ずするまいと、ここはまたも一旦見送りとした。

一方、私は私で見合いをしていた。ほんの数件ではあるが。
見合いは気に入る相手を見出せなかったし、その都度の見合い相手も同様に私を気に入らなかったようだった。
最近の見合い写真は、テレビドラマのような修整をしない。ポケットカメラで写したものを互いに送るから、実物はほぼ同じだが、中に写真よりふけた者がいて、これには閉口した。

見合いは気乗りせずに終わった。以後二度としていない。
見合いした数人と某女とでは、この女が数段優っていたし、肉体関係があったから、そのほうの営みにも、気が楽だった。

私はこれも一つの過ちと承知で子作りを決意しかかったが、次に会う時に条件を出した。「ほぼ同時期に亭主とも営みをせよ」と。
無論、その行為の証拠を見出せぬむなしい条件であるが、私はこの条件がのちのち、己を束縛しない材料になることを期して、書面をワープロで作り、ここに一筆書かせた。

いろいろな目的があるが、私も翻弄されて来た以上、イザという時に、生まれて来る子に対する一切の責任を免れて当然との証拠を作るためだった。
女の筆跡と、同時期亭主とも営んだ事実をウソでもを残すことで、私の人のいいというか愚かと言うか、その行為にいくらかでも我れに理ありと、主張出来るものを形ある書面で残しておく必要があった。

結論を急ぐため、これ以降の経緯を省く。
女は一児を産んだ。当然自分で育てて来た。
これはいずれのタネを宿した子か、不明である。法的根拠はともかく、そういう約束の書面がある。
ここへ来て、将来設計の話となった。
私は今の預金は十年で底をつくから、これは残高ゼロになると強調した。

女は、私の土地と家屋をあてにした。だが、父親死後の遺留分を兄嫁があきらめるなら、私の死後、これらを甥三人に与える旨したためた遺書がある。
これを反故にする価値が女にあるかどうか、ここへ来て疑わしくなった。

このことをめぐり、口論になった。
私は別れた亭主に理があると言った。これがしゃくにさわったのか、主婦失格かと食ってかかったので、男との同居はむかぬだろうと、初めて本音を語った。
女はそれなら結構、以後出入り無用に願いたいと言い放って、それきり話は進まないので、私はこれを以て縁が切れたと判断した。

今までになく興ざめた結果になった。この日記に「いよいよ訣別」と書こうとしたが、何回も書いて、言葉が軽くなっているので、別のタイトルにした。
終了である。
平成8年ごろ一旦別れた相手(婚姻届未提出、ゆえに離婚でもないが、事実上このように表現)とは、初めから別居だった。
塾経営は前年まで、収入だけに限ると順調だったから、同居の話し合いをしたが、この平成七年兄が病死するや、体調を次第に崩し、平成八年には、仕事が苦痛になり、それをこらえての一年にわたる仕事継続だった。

暮れ近くに遂に苦痛に負け、休業。収入がないのだからと、同居話を白紙に戻し、同時に子供の扶養を相手に任せた。
翌平成九年、なんとか立ち直ったものの、塾は傾き始めた。
月収は二十万を切った。

このまま平成十一年まで低迷を続ける。
翌平成十二年には月収が一ケタになり、パートで補おうとするも、仕事が続かず、再び一ケタ月収に戻る(仕事は洗濯屋のプレス作業)。

相手の助言で、四十七歳にして隠居。ジオラマ製作などで気を紛らすが、二度とやるつもりのなかった家庭教師をぼつぼつ始める。
平成十三年、パソコン交流を得て、ジオラマをホームページに掲載する作業を知り合ったたかはしさんに一任。

この夏の夜、仕事帰りにストリート・ファイトをしたことも原因して、家庭教師センターと縁を切る。
再び無収入。即座に静岡の別の会社に登録して、細々家庭教師を始める。
さらに塾再開のはこびとなり、二つの形で依然わずかながら定期収入を得るようになる。

さかのぼって平成十二年秋から、相手とのひんぱんな行き来を再開。
なお、子供に会いにゆくことは、平成九年以後も継続、成長の様子を見続ける。
私に出来るささやかな援助は、零細な収入がある程度たまった頃の送金と、毎年の折々のプレゼント。子供への物なのは言うまでもない。

今年のクリスマスプレゼントは既に決定、宅配の手続き完了。
もはやイヴまで気を持たせる年齢にもあらじと判断、品物の正体を告げる。
子供の日本拳法練習用「キックミット」と「ローキックパンツ」である。

ローキックパンツは、やや使い勝手が気になる。無用の長物に終わらぬ優れた用具になることを期待するのみ。
元の主人とのやり直しはお互い、破局の再認識となりました。
彼は子煩悩でない理由として、日の丸童子が、自分とあなたと、いずれの子かわからないことも主張していました。

子供も父親としてなつくことがどうも出来ないようです。
早ければ今年中、遅くも来年早々には私どもの自宅を出ると申しております。

さて、あなたからの図星をさしたようなメールの言葉、素直にお受けしようと思います。私の言い分はあっても、水掛け論になりますものね。

六年越しの付き合いを堪能出来たと言ってくれたあなたの言葉を、好意と受けて、私も子供も、これから二人で生活に邁進していく覚悟でいます。

とりあえず、あなたの意見を静かに受け止め、私たち親子は、心機一転の生活に臨むことにしました。
数年の間の楽しいお付き合いを良き思い出として、胸にしまっておきます。

気持ちの整理がついたら、楽天日記に書くとのこと。楽しみにしています。
お体、大過ないようで、これは本当に安心し、今もうれしく思っています。

あるいは、あなたも箱根へ出かける時、偶然会う機会にも恵まれるかも知れません。
その時は、「やあ、元気 ? 」などと、声をかけてくれたら、うれしいと思います。
ありがとうね。               夕子
のどの不快感・違和感があるのに、相変わらずの病院嫌い。
何を言ってもムダなのはわかっています。

でも、「一鉢の花咲きいでて、我が目には今年ばかりの秋ゆかんとす」

なんて書かれると、イヤです ! !
多分神経が疲れているのだと思いますが、お元気でね。

今夜はあまり書けなくてごめんなさい。
またメールします。
お体お大事に。

                         夕子
夕子殿より便りあり。もっか、とりあえず何とかやっているとのこと。
結構なり、永く続かんことを祈ると返した。

その夕子に言われた。日記交流に限る以上、かまわないと思うから、ラブコールを記せと。

ここは隠れ家ではなくなって来たが、それでもいいではないか、よほど迷惑なら、賢い人だから向こうから引く、とにかく書けと、夕子再三再四なり。

すなわち。

夏子2004さん, Come back ! !
夕子殿、妙なタイトルと思ったら許されたし。
結局のところ、近況報告にほかならないわけですな。

神経にも障り、現に体調を崩したと聞き、ストレスいささかあるを察せり。

夕子殿に助言す。
無理をして家族修復をはかるのが目的ではなく、それぞれの今までの生活の仕方でのやり直しの可能・不可能を試すものなので、夕子殿は、従前通り振舞うべし。

それでも心労が覚えず出て、体調にも影響すること再三に及ぶ時は、既に助言した通りにするが良いと申しておく。

以上、甚だ簡単ながら、私の言わんとするところは伝わったと察する。
例によってメール不具合ゆえ、ここに書いた。
ご自愛を望む。

夕子殿からの近況

2005年9月20日
ゆえあって、二度と訪問かなわなくなった夕子殿宅である。
ごちゃごちゃといろいろ書いたが、ただいまはこの通りである。

だが彼女からのメールは依然届く。
なるべく長い文章を書いて返信する。

日の丸童子がいずれの子かは、科学的というのか医学的というのか、その鑑定をするつもりはない。百パーセント確かな答えを出すのは無理とも仄聞した気がするが、あるいは私の無知か。
ともかく実父の確定への関心はない。

夕子は、「あの人」とは長く同居していたけれど、子宝に恵まれなかった、種なしだと言う。

やや遅れて情交あった私とのあいだの子だと言う。
私はこれにこだわらない。
ともかく現状に耐えよとだけ言い続けている。

唯一の救いは日の丸童子が、複雑であろう心中を、顔に出さず、明るく元気に生活していることだ。

夕子からは当分メールが来るだろう。
そして私は「耐えよ」と同じ答えを返信するだろう。

もし、夕子殿がこれを読んでも、失望しないことを祈る。
でも、さすがにこういう複雑な関係のことは、楽天日記向きではない。

夕子殿、メール、いつでも送ってくれてかまわない。
ない頭をフル活用して返事を送る。
体を大事にね。それから日の丸童子の心の健康にだけは常に、さりげなく振る舞いながらも、気遣っていただきたい。
電話がかかった。
夕子「自分で自分を追い込んだご感想はどお ? 」
私「・・・」
夕子「結局、こないだの伊豆旅行のこと、根にもってただけじゃない ! 」
私「・・・」

夕子「ダイアリーノートにこんな会話書いて、ご満足 ? 」
私「・・でも、今さらどうにもならないだろ・・ ? 」
夕子「あなたって、やっぱりお母さんの言ったとおりね」

私「って ? 」
夕子「自意識過剰 ! 」
私「だからどうしたの ? 」

夕子「楽天日記にあたしを復帰させなさいよ。それに、日の丸童子も、たまにはね。あの子、もうすぐ二学期で、意気込んでるのよ。ううん、あなたがサポートしてやらなきゃ、モチベーション下がっちゃうわよ」

私「ここに書いちゃった創作日記のストーリーはどうする ? 」
夕子「だから、自意識過剰なのよ。無視していればいいでしょ。たいして読まれてないし、第一、あたしたち一般人なのよ。あなたが今朝書き始めた、伊東美咲のような有名人でもなんでもないの」

私「・・・」
夕子「それとも、まだ気持ちが治まらないの ? 」
私「い、いや、そうでもないよ。過ぎたことだし・・」
夕子「じゃ、決まりね。少しずつでいいから、復旧させるの。あたしたち、何も目立たない人間だけど、確かに存在はするのよ」

ゼファーレディと名乗ったナナハンレディ復帰の弁である。

夕子からの相談

2005年8月25日
もはや隠れ家ではなくなって来たが、それでも楽天日記よりは目立たないから、くだくだしい説明のようなことは抜きにして、事情をわかっている同士のこととして書く。
たまたま読む人が要領を得ぬと感じてもそれはそれでいいことだ。

夕子が、わずか一週間足らずで、私に相談のメールを送ってきた。
名前の呼び方も従前通り呼び捨てにしてくれとのことだ。
ただし、これだけは二度と元に戻すことは出来ぬことだが、私は、余り立ち入らぬ条件で、どうしても相談に乗って欲しいと懇願された。

虫のいい話とは百も承知だが、亭主が子煩悩でないのが気になるという。
私は生さぬ仲にもかかわらず、子供あしらいがうまかった、あるいは子供もなついていたが、父親となったら、ぎごちないとのこと。

私は立ち入るのを控えるべしと思ったし、正直もはや実らぬ仲とわかりきっていて立ち入るのもごめんだと思ったから、「わずか一週間でこらえしょうがない ! 」とキツク返した。

具体的なことも書いた。「実の父親だから、かえって本音を出してわだかまりの心をぶつけるわけだ。対する私は血のつながりがないから、親切できさくなおじさんで通ったのは当然だ。今後のお互いの努力が肝要だ」と。

私は自分の父が子煩悩でない例を出して、「前から話してきたろう」とも付け加えた。
なお、パソコンを万一亭主にのぞかれても困らぬように、私へのメールは、送り次第消去を欠かさず周到だから心配要らぬという。

私は思い切って問うた。
私「うまくやっていこうという気構えはあるのか、それとも、またぞろダメな時への対応を視野に入れているのか」
夕子「前夫との離婚は子供に因果を含めてあるのと同様、再び破局に至る時の覚悟も言い聞かせてある。そこまで一度はこじれた仲を修復しようということ自体、不自然だ。変わらぬ交流を請う」

私「では一計案じたから亭主に以下の如く告げよ。離婚後、私という人間が現われ、深い仲に一度はなっている。家庭を壊す気はないが、貴殿の態度次第では、今後も私が見え隠れするが、それでもいいかと」
夕子「あなたの存在は亭主は知っている。承知でやり直しを求めて来たから、ある程度、存在をちらつかせても構わない。比較させることで、反省を促すことも考えに入れている」

私「私は差し出たことをせぬほうが、家族関係修復にはいいに違いない。夕子は短慮とは言えないか」
夕子「私も正直書くけど、彼への気持ちは、あなたほど高まらない。あなたのほうが、きさくで良かった。ここで初めて書くけど、息子はあなたが父親でもいい、ちゃんと息子としてふるまう。ナナハンのおじさんのほうが、うまくやれそうだとまで言っているのよ」

メール内容を会話調に変えて書いた。
今、私はいかにふるまうべきか迷っている。

さらぱ良き女よ

2005年8月16日
もう、夕子と呼び捨てにすることは出来なくなった。
思えばこれも数奇なお互いの運命に翻弄された数十年だった。
この「夕子」という名前は、つい最近彼女が自らの意思で改名した名前である。

私が感化したと本人は言う。役目の終わった私の置き土産の如きものとして、わずかながら、私の心は慰められる。
夕子さんは、私を心のよりどころとしてくれた。

楽天日記では、彼女をわがままと断じた日記交流の婦人がいたようだが、誤解である。
人には言えない複雑な事情ゆえに、彼女の人物像を時に悪女めいた描き方にせざるを得なかった。

夕子さんは、男としてのおよそ考えられる限りのいかなる魅力も欠く私の本質を見抜き、これをたたえてくれて、長年私を頼ってくれた。
だから私は彼女をこの世で出会った理想の女と評価している。

美しい彼女は、四十を過ぎた今でも美しく、プロポーションは若き日の姿をほとんど保っている。
そして何より好ましいのは、それほど美しい彼女が面食いではないことだ。

今、四十代の主婦の何割が、自前で漬物を丹精して作り続けているか。
彼女はぬかづけと塩漬けを欠かさず、毎日の食卓に必ず出している。
この味が私の母の、さらに言えば亡き祖母の漬物の味とそっくりである。

彼女の手は漬物のにおいがする。
上下見事に決めた服装でナナハンを駆ってブオンというエンジン音を響かせて帰宅すると、ライダー服を脱いであっというまに主婦に変身し、前掛けをして、漬物に向かう。

この大なるギャップにほれぬ男があろうか。
今、彼女は改めて人生をやり直さんと、心機一転、果敢に明日への挑戦の途についた。
もはや接近することかなわなき我が身なれど、年来の孤独を長年いやしてくれた彼女の前途を祝福したい気持ちでいっぱいだ。

前夫より楽しいと言い、実際バカばかりやった私の言動を楽しみおかしがり、幾度となく、私とやり直したいとまで言ってくれた夕子さん。
もう、余り自分を責めないで下さい。

思い出は作るものではなく、あとから振り返り、懐かしむものです。そして、あなたは私にたくさんの楽しい思い出を残してくれました。
ぜひ、ご家族の皆様共々、あなたも幸せになって下さい。
長いあいだ、本当にありがとうございました。
ゼファーレディこと、夕子から、突然のメールあり。
お互いの出会いを初めとする脚色にメスを入れて、軌道修正しないかとの提案なり。

以下、箇条書きに傾くかも知れないが、書いてみる。

○出会い/ 我れ26、夕子16。バイクが縁。ただし、さほどのめり込まぬうちに、自然消滅となる。これが真実なり。

○再会/ 平成14年8月9日(金曜日)。箱根にて。我がバイク、ホンダCB900ホーネット逆車。相手のバイク、カワサキバリオス250cc。

○十数年ぶりの再会と言いたいところだが、この時より何年か前に連絡を取り始めていた。
当時、正式に結婚せる相手と破局になり、離婚直後なり。一子を設けたる直後とのこと。我れ、いささか驚く。

○箱根での再会の夜、我がパソコンに初めて夕子からのメールが届く。
お互いいささか老けたるも、我が印象、離婚せし男より柔和なるとの評価を受ける。突然の事がらの連続に、さすがに我れ複雑な心境のまま、当たり障りのないメールを返す。

○夕子からのメール続々。我れも年来の孤独に退屈もし、気が滅入りがちな日常の連続なれば、彼女からのメール攻勢に、次第に心が動いていく。

○平成15年楽天日記開設。この六月ごろ、他の人々には意味不明ととれそうな日記をつづる。夕子とやり直す気持ちが生じたことを示唆する内容なり。今読んでも既に我れも又意味不明の箇所はなはだあり。

○夕子から楽天日記を毎日読み続けているとのメールあり。また会いたいとの意思表示併せてなり。
即答を控える。メールやりとりは続行。

○我れ日記への意欲、この年が最高潮なり。
半年ほどのちの十二月再会の決心がつき、その旨メールせり。「うれしいけれど待遠しい」との返信すぐに届く。

○十二月某日、再会場所、やはり箱根。
ここで夕子から提案。楽天日記に登場したいとのこと。
ただし、世間体が悪いゆえ、脚色を請うと、切望。我れ、提案を呑む。

提案内容以下の如し。

○彼女の離婚歴をまず脚色。
前の亭主の存在を消す。代わりに我れを代入。一子は、我が実の息子と設定。無論、生さぬ仲なり。いや、この言葉遣い自体、正しいかは怪しいが、ほかに浮かぶ言葉もないので使う。

○一子は男子なり。楽天日記には当分出さないと決定。
彼女の息子、当時小学生なれども、なぜか私になつく。通ううちに、情が移る。「ナナハンのおじさん」と呼ばれる。

○夕子に忌まわしき過去あり。彼女は幼時、実母の虐待に苦しむ明け暮れで、その実母は、ある日彼女にこれまでにない凄絶な虐待を与えて、精神科に入院。

○実父は己の不明を恥じ、かつ、ノイローゼになり自殺。
夕子はこれらの事実を伏せてもらいたいと切望。我れ、これを呑む。

○夕子の高校・大学に著しき脚色を施すことで協議まとまる。
楽天日記に、夕子との出会いから今日に至る経過を創作同然で不定期連載開始。

○平成16年、彼女との間に溝が出来る。
我れ、独力ではいかんともし難しと痛感せり。
音信不通となる。

○同年晩秋、夕子からメールあり。
さらにやり直そうとのこと。我れ、もはやいずれの結果に終っても良いとの心境に至り、何度目かの再会。夕子、楽天日記開設せるも、すぐに閉鎖。

○平成16年終わりごろ、夕子の一子を日の丸童子として日記に登場させる。再び夕子とケンカ。日の丸童子の日記、彼女の意思で閉鎖。

○明けて平成17年、夕子、ゼファーレディの名で、日記開設。彼女としては前年に続いて二度目なり。

以上つづったように、彼女、我々の付き合いの脚色部分を修正して、真実を明かしたいと提案。ただし、楽天日記にはさすがに書けないので、これも協議のすえ、ここに書くことに決定。

楽天日記交流の人でこの日記を読む人は、まずほとんどいないと思うが、いずれ誰かに読まれても仕方ないと意見が一致し、かかる日記をつづった次第。

脚色が過ぎたが、共犯なり。そして、まだこれだけでは、すべてを明かしてはいない。
いずれ徐々に明かしてゆき、いずれ夕子は楽天日記を去り、そして。

私との実りなき縁にも終止符を打つことをようやく決意せり。
これは私の提案・希望である。
彼女は遂に住まいなど、個人情報を伏せたまま、楽天日記から姿を消し、私との付き合いにもけじめをつけることに同意した。

一子のためである。
私は結局元の状態に戻ることになる。
なお、当分、楽天日記には、ある程度の脚色を施したまま、付き合い継続を思わせる内容でつづるかも知れない。
梅雨の最中に意識を失って倒れた。
私の仕事は教授業ゆえ、このご時世では収入は頭打ちである。

身入りさえたくさん入れば良いのなら、労働仕事があるが、人には向き不向きがあり、私には労働仕事は無理である。

過去何度か挑んだが、ダメなものはダメだ。
残ったのが時給はいいが月収にするとたいしたことがない教授業だ。

昨今の生徒は早い時刻の指導をいやがる。ゆえに一日一件でおしまいだ。
一時間指導と一時間半指導とでは、およそ五千円の差がある。
同じ出向くなら、一時間半がいい。

身入りは確かに少ないが、老後の独居生活への負担を少しでも軽くする一片の力にはなっているはずだ。

ただし、収入のたまりかたは恐ろしく遅い。
これで、将来の生活の助けになるのかと思うほどだ。

あと十年この仕事が出来ると仮定すると、確かに預金切り崩し額を少しでも減らして、預金の残りを預け入れたまま、少しずつ将来へと、先のばしにすることにはなる。

さて、楽天日記を昨年突如閉鎖した若い婦人がいた。
私が交流をしつこくしたせいもあったろうと、未だに思っている。

それとは別に、ご本人にはさらに深刻な原因が迫っていた。
その大病のため、半年近くの長いあいだ、入院加療を余儀なくされることとなった。

なぜ知っているかというと、私がこの梅雨のあいだに倒れた時、細君が急ぎ、コメント欄などで報告し、それを見たレディが、半年ぶりにお見舞いのコメントを下さったからだ。

このコメントに、彼女がまた、もっとひどい持病に苦しみ、闘病していたことをつづってくれたのだ。

私は改めてこの婦人にお詫びと感謝をしなければならない。
蒸し返しになるが書く。

私は白血病で既に死んだ兄を日記では生かしておいた。兄の名でウソのコメントを書いたこともある。

私は一レディにだけは、ウソをつき通せなくなった。兄の死んだことをこの日記に書き、ついで彼女にここのアドレスを知らせた。

レディが突如日記を閉鎖したのはこの直後だと記憶する。
また、一人の婦人に無礼を働いたかと嘆いた時は遅かった。

だが、彼女もまた日記どころではなかった。持病が悪化し、入院およそ半年の長きにわたる苦痛を耐えることとなった。

そのかんの様子は想像も出来ず、ただ辛かったろうと、察するほかない。
さて、私が倒れた原因は単なる貧血と一時診断が下された。

それにしては失神時間が長かった。臨死体験などは全くなく、意識が戻るまでは無の世界だった。
と、言いたいところだが、妙な時間の経過を感じた。

あるいは記憶に残らぬ夢を見ていたのかも知れない。
さて、話を戻す。
細君が交流相手を対象に報告しておいた。

さらに私の回復の様子を山形のたかはしさんにメールで、知らせた。
この日に限り、たまたま一時的交流のあった人々からも、見舞いのコメントをいただいた。

その中で、後発に属する一通があった。
これが鹿島アントラーズを応援するレディからのお見舞いのコメントである。

私はこれを読んで泣いた。彼女に少し許してもらえたかと思い、耐えて久しく見ることが出来なかったネームを目の当たり見た。
なぜ泣いたのか ?

細君にたずねてみた。この女は少しあるいはいささか変わっている。
ヤキモチを焼かない。焼いても焼くこと少ない。
このレディを娘のように見ているからかも知れないが、とにかく答えてもらった。

「恋愛感情ではないけれど、慕情は前からあったのよ。ほかの交流相手にも異性はいるけど、あなたはその娘さんの人柄に性格に慕情を覚えたのよ。少なくとも、日記で見る限り、最高のレディだと絶賛したほどだから、多分間違いなく、おめがねにかなった素敵な人なのよ。

だから、突如日記を閉鎖した時は、後悔の念が先に立ったのよ、本当は先には立たないのが後悔ですけれどね。
ともかく、呼べど再び答えが返らないということは、何か彼女の神経に障ることがあったのよ。

彼女は私たちの仲が危なっかしいものと判断して、書き込みを削除してほしいとまで、心遣いした人よ。
でも、今年になっても、再開設どころか、楽天日記を読んでいるのかさえ、わからないほど、その気配が消えて、あっというまに時が流れたわ。

あなた、倒れて良かったのよ。そうでしょ。結果を見れば。
得たもののほうが、はるかに大きかったわけでしょ。
ただし、今後の態度を慎重に・・・。
と、言いたいところだけど、彼女は賢い人だわよ。

書きたくない時は書かないはずだから、ほどを考えて、書けばいいと思うわ。サッカーJリーグ情報なんかトップにどうかしら。
これは慕情を隠すか、隠せなくても内容で、彼女にも寛大に扱ってもらえる方法よ。たまには新聞のスポーツ欄でも見て、鹿島アントラーズの動向を見守ってみたら ? 」

思い出したように付け加えた。「慕情よ。再び交流出来ないかとあきらめかかっていたところへ、ちょうどよく体調を崩して倒れた。
で、彼女自らも闘病の経験を重ねつつ、とうとう許してくれた。

それで心に押えていたあなたの慕情が一気に爆発するように、起こったのよ。そう、もともと泣き虫で、ちょっと感激すると、すぐ涙を流すタチだったけど、今度のは無理もないわね。あなたの一番好きなネームが飛び込んで来たのだから、一番素敵なレディのね。
堰を切ったように、慕情の涙がほとばしり出たのよ」

なるほどと思った次第。
私は楽天日記に、後日予定の「ああ東宝特撮大プール」のための画像を用意している。

ところが東宝大プールの様々な資料写真を見るうち、「キングコング対ゴジラ」の熱海城をはさむ最後の死闘シーンが飛び込んできて、久しぶりに、あの小学四年のときに見た印象がよみがえった。

「熱海城を撮影しにバイクでソロ・ツーリングしよう」
と決めかかった。
この話を夕子にしたのがまずかった。

夕子は「じゃあ、あたしたちも行く。いいわよね」ともう私がオーケーするに決まっているという顔つきで言うから困った。

「息子も一緒か」と問うたら、このへんから彼女の表情が変化してきた。
「あたしたちが一緒だと邪魔なのね」と来た。

「そんなわけじゃないけど、余り思い切った行動をすると、実家に知れるおそれがあるだろ」と弁解した。いや、むしろ相手と自分の立場を考えて言ったつもりだった。

彼女は実家はだいぶ態度が軟化してきたと返した。
要するに母子共々、行楽のつもりで行くのがおっくうなのねと次第に頭に血が昇りつつあった。

私は「特撮プール」特集の次はミニチュア建造物特集をやるつもりだった。
だから、そのために熱海へ行き、熱海城を撮影したら、まっすぐ帰って来るUターンツーリングの計画である。

皆で行くとなると、やれ弁当だ、または向こうであそこもここも行って見てみようなどと、時間を食うこととなるのは目に見えている。
もし、私が熱海城や、錦ヶ浦ばかり撮影していたら、二人は退屈するに決まっている。

だから、じゃあ、改めてみんなで行楽に行こうと提案し直そうとした時は既にシラけた空気になっていた。
「当分来ないでいいわ。テストもそのときには終わっているし・・・」

このケンカ、一両日で和平講和となった。
ホント、瞬間湯沸かし器みたいな女。
やれやれ。息子がいい点取ってくれたので、だいぶ助かった。

訣別2

2005年6月13日
この日記は楽天日記からの隠れ家である。
その証拠にアクセスがほとんど増えない。

もう、この言葉を書くのもうんざりだが仕方ない。
所詮縁がなかった。
無理もない。第一私が50男として全く甲斐性なしだ。

残念無念だ。弁解はしないが、事実は事実だから仕方なかろう。
事実を書くのが弁解も同然と言われるならそれも致し方ない。

ともかく、私の塾はほぼ廃業した。それでも少しはたとえポケットマネー程度でも、この家(や)に衣食するあいだは、少しでも働かねばならない。

誠、少しの身入りにしかならない。
20代の女の月収をはるかに下回る。
情けないことだ。男の資格がない。さらに生きる資格がない。

タバコを吸い始めたのは私の勝手な振る舞いだが、習慣化してからは、これでどこかを痛めて早死に出来るならばという気持ちも起きて来た。
今の預金・貯金では、10年しか持たない試算をしてある。

10年後私は62であり、まだ若過ぎる。国民年金支払い完了は63才だ。
五年の待機期間があるから、もらえるのは68からだ。
さすがにこの年齢でなお生きていたいとは思わぬが、それ以前に預貯金がなくなる。

仮に年金支払い終わりの63までは持つとしても、それから先は収入がないから支給開始年齢までの五年間は金が入って来ない。
だからそれまでに死にたい、言い換えれば寿命尽きてこの世におさらばしたい。

なお、ただいま時々ではあるが、月曜から木曜までタバコを吸わぬ習慣を作って、金・土・日と吸っている。
言わば週末喫煙だ。

理由がある。母はこの誕生日で78になる。
毎年腰痛も出るし、めっきり弱くなった。
弱年のころからひとかたならぬ世話になった母に先立つことからだけは免れたい。

母を見送ってのち、己の気持ちのままにタバコを吸いたいだけ吸って、死期を早めるも自由だ。
だから今は時々控える。それでも、誘惑に負けることもたびたびだ。

話を戻す。
身入りは少なけれど、このままわずかな仕事が続けば、爪に火ともす如きまだるっこさだが、チリも積もればのたとえ通りで、年間で少しはたまる。

無論、今のところは預金切り崩しはしていない。しなくて済むからだ。
わずかな収入は、預金を少しでも貯めるためにも使っている。
めったなことは書けないが、この一年で200万ほど増えた。

今年の仕事の様子如何にもよるが、今のままゆけば、年末にはもう少し預金が増えるはずだ。
また話がそれた。私は男の資格がないものの、出来る範囲でやっている。

それを「ヒモ亭主」と、禁句とさえ言い交わした約束同然の言葉を使われては、いくら何でも私の立場がなくなる。
こういう言葉を平然と何気なしに吐くことの出来る婦人はある意味で危険だ。

前途にその危険性をさらに感ずる。いつまた、かかるはずかしめを受けぬとも限らぬ。
ダメ男はダメ男で仕方ないが、少年の前で言われては、今書いたように今後に不安がぬぐえぬ。

私は己の身の始末は独りでつける覚悟だ。
もう、これきりにしたい。
日の丸童子の楽天日記は、閉鎖出来ればしてもらいたい。
始まりは身に覚えのない「出会い系」サイトからのメールだった。
若い娘が私にメールを続々送ってきた。この時は、PCメール・携帯メールを使い分けて、送って来た。

そのうち会いたいと訴えて来るので、メールわずかでなぜとけげんだったし、このころになると、それまでと違う、ある業者を通してのメールとなった。字数制限わずか120字で、とても趣旨を伝えられない。無料ではあっても登録しないとその子のプロフィールが見られないので、登録して見た。

出会い系を必要としないほどきれいな娘だった。
からかわれているのではないかと思いながらも、向こうからは「会いたい」の一点張りなので、再び三たびメールを送ったら、「ポイント不足」と出た。

何のことはない、金を取るつもりのサイトではないかと判断がつき、以後この面妖なサイトを通してのメールには返信しなかった。
ところが一両日ほど無視したのち、この子は以前の携帯メールで「もう、さよならします」と送って来た。

それでも、「最近つらいことなどがあって、淋しかった、本当に会いたいと思っていた」との文面だった。
気は心と、私は一番安い金額を銀行振り込みにして、この子のサイト経由メールに返信した。

それからは、言葉足らずのメールが届くばかりとなった。
「携帯の番号メールするね」と書いてありながら、さっぱり送ってくれない。
警戒無用と、委曲を尽くしたメールを送ったが、もはやサイト経由メールしか来ない。

これが出会い系なら、私にはサイトのシステムがわからないので、会う場所・日時などの連絡のしようがない。
何よりこの娘は、以前の普通のメールを寄こさなくなった。

疑いが生じ始めた。
「会いたい」と相変わらず同じ言葉を送って来ながら、肝心の連絡方法を書いて来ない。

そこで他の娘のメールを見ると、「携帯番号教えます」と書いてあるものもあった。
つまり、中には気軽に電話番号を知らせる意思のある娘もいるのだから、あながち男から金を取るだけのものでないとも思えた。

何かの事情で、この娘一人、携帯番号を明かせないのかとも思ったが、ともかく、以後のメールが要領を得ない。
いいかげん疲れたから、私はだめならだめであきらめる趣旨のメールを送った。

二十歳そこそこの娘の何割かが、無差別出会いをむさぼるように、さがしているとしたら、何とも言いようがない。
推敲せず。
楽天日記で、訪問者を見ていたら、あるニックネームが目にとまった。
たいていは妙なネームに興味が起こらず、訪問のお返しはしないのだが、今回は日本語の見やすいネームなので、訪問した。

いきなり女性化粧品がズラリ並んだ日記サイトが現われた。
実は、このタイプのは素通りする。
ところが、昨年六月になぜか立ち去りがたい気にさせた若きレディのサイトに立ち止まり、遂にコメントを書いた時と同じく、何か書きたい気が起きた。

プロフィール欄を見ると、住まいは非公開である。日本のどこかだろうという以外のことはまるでわからない。
そう、立ち止まったわけがあった。

若い女の人の唇から上を切った画像に目が行った。
ポリッシュという言葉の実際に使われている意味がわからず、妙な書き込みをした。

そのレディから掲示板に書き込みがあった。
若い人特有の顔文字その他を駆使して書く以外は、整った文面である。

昨年、私が書き込みをしたレディは、当たりつき自販機の他愛ない内容だった。
今度もポリッシュの意味など覚えないでもいいと思えばそれきりだった。

さて、不思議なものだ。私の不細工顔をチラとどこかの私のサイトで見たあとでも、この娘さんは書き込みを次々くれる。
昨年のさわやかなレディ「夏子2004」さん以来の、連続書き込みだった。

掲示板は、このレディのネームで埋まって、心地よい気分だ。
そして何回目かの書きこみで、何市に住んでいるかを知らせてくれた。
私の不細工顔を小さく乗せたのも幸いかも知れない。

52−20(だったろうか。若い、若すぎる ! ! )=ええーと、電卓・・は要らないか。計算が苦手の私でも暗算出来そうだ。
ああ、=の続きだ、ええと・・・32 ! ! ! ! !

親子の年齢差を越えている。
しかも住まいが市までわかっても、遠い。
この娘さんが隣の沼津市か逆の隣の静岡市在住だったら、どんなに良かったか・・・。

この日記の場所は既に隠れ家ではない。
ただし、アクセスから見て、ほとんど読まれていない。
慕情が起こりかけているが、遠距離がかえって幸いしたとみるべきだろう。

これから幸せをつかむに違いない娘さんに慕情を起こしてもムダだ。
嫌われないような日記交流を続けるべきだ。
こんなことを書くから、私はいずれ気味悪がられて、去られるのかも知れない。

そうだ。この娘さんにこの場所を教える必要があった。
だが、こんなことを書いてしまったら、嫌われるだろう。
夕子には、新しい日記交流が始まったことを伝えてあり、こいつは、せいぜい失礼のないようにねと、むしろ応援してくれた。

わかってるよ、夕子ちゃん。
私とつりあうのは10年下のおまいさんだけだよ。
でもね。手出しかなわぬ日記交流ならば、感じのいい娘さんを、慕情という言葉ぐらい使って称えてもいいのではないかね。

また書きすぎたか・・・。
ネームを書きたいがそれは控える。
軽やかな文章だけども、きちっとした文章がしかも長くつづれる娘は好ましい。
パソコンメールに飛び込んで来た不思議なメールのうち、一件若い婦人から、一通りまとまったメールが届いた。

本人が間違いなく女子で、メールを送ってきたのなら失礼になるかも知れないが、52の私に若い婦人がメールを送るのは、けげんであった。

年齢を正直に書いて返信したところ、それきり音信がなかった。
本日チェックしてみたら、何と返事が来た。

未だ、名前と職業以外は不明だが、私もとりあえず返信したものの、用心はしている。

実は楽天日記に書こうと思ったのだが、字数制限一万字近くなったし、やはり公表性高い楽天には書きにくいので、ここに書くことにした。

ひそかに検索したが、メールに書かれたのとピタリの人物は見つからなかった。
男がイタズラで女になりすます例があることは知っている。

もう少し様子を見てみる。
万一、電話会話にまで進んだら、君に連絡する。
もとより若すぎて話にならない。

かつてのバイク仲間にはメールを通り越してナンパし、一回きりで鮮やかに身を引く名手がいたが、私はこの点いい年して世間知らずの大人だから、今後アドバイスを請う。

「遊べたら遊んでみたら ? 」と言ってくれた君の言葉にそのままずうずうしく甘える気はない。
相手が本物の女子で、遊ぶ程度の意思ならば、こちらもお互いを傷つけることを避けて、少し気晴らしをしてみようと思うが・・・。

それでも万に一つ、意外にまじめなようなら、くどいが「こちらが遊ばれる」覚悟で、たそがれ前最後の交際をすることも視野に入れている。

くれぐれも用心の上で。報告終わり。
幻燈機制作がやや順調だったが、まもなくNEC製パソコンの本体部品が壊れ、メーカーへ送っての修理となった。
まるまる二週間かかり、直り到着との連絡を受けて機械を持ち帰った時は、すぐにセットする気にはなれなかった。

パソコンは「白物家電」といわれる冷蔵庫などとは正反対または特殊領域の家電製品だという。
やはり私はこの手の機械ものは苦手だ。
それが、すぐにはセットしない結果に表われた気がする。

スパイウエアが知らぬ間に侵入したと思ったら、数日後の検索では消えていたり、その代わり、不審なメールが届き、それも私に抗議する口調で書いてあったりと、不快な思いもした。

今ようやくいじる気になったのは、三年目にはいった楽天日記だが、そのことをここ、ダイアリー・ノートにつづる皮肉。
自分のことをたなに上げるが、それにしても何も面白くない日記が、猛烈なアクセス増加を続けるのに接すると、合点がいかぬ。

よし、私の日記もいばれたものでないとしても、一部主婦の日記は、井戸端会議の話題を独りで書くが如きで、どうしてこんなのがアクセスをかせぐのか、やはりけげんだ。

この手の主婦たちはいわゆる本物の日記帳を書いているのか。
多分そうではないと察する。
自らの手でシャープペンなどを持ち、ノートにつづる日記は書いてはおるまい。

ある主婦は縫いぐるみ三昧である。
開設の頃、ずいぶん行き来したが、ある時から私の日記は完全に無視された。
既にその主婦の日記への興味、私もまた既になく、つまらなそうなタイトルだけが私の日記トップに毎日現われる。

だが皮肉なことにその主婦の紹介でほんのわずか遅れてリンクしたもう一人の関西の主婦の日記のほうが、気を楽にして読める。
同じ日常の雑記でも、人柄が出る一例であろう。

常連の中にこれまた嫌いな主婦がいるから、私はめったにコメントしないが、この関西の主婦は、私の日記を見限らずにいてくれる。
気分が沈んでいる時は、他人の不幸は我が喜びというのを見事に否定するように、ごく自然なコメントを書いてくれるから、私は閉鎖を何度か思いとどまった。

この関西の主婦に心臓などの持病があるのが皮肉である。
健やかにいてほしいと願う一人なのである。
このところ、いや、もうずっと、初めにインパクトを与えた趣味以外の、花々への一方ならぬ愛着とそれらを育てる丹精を画像交じりでつづることが多い。

私は実は庭木も含めて、植物への興味が余りない。
母に似て、興味を持てる人間になりたかったが、興味なき父に似てしまった。
ただし、鑑賞の興味はある。

オートバイに乗ってて、信号待ちなどで停止する時、ふとどこかの家の庭にきれいな花などを見つけると、つかの間目の保養をするのだ。

さて、幻燈機中断の弁明。
ただいま斡旋を受けての家庭教師をほんの数件やっているが、成績がいずれの生徒も伸びない。

クビにならぬうちは続けるつもりで一日も休まず通ううちに、かつて2.30代のころやっていた家庭教師の頃の感覚がやや戻って来て、センター指示内容以外のいわばサービスもするようになった。

私も人の子なれば、この生徒には時間延長しようとの気持ちがわく場合とその反対が生ずる。
時間きっちりで辞去するお宅とそうでないお宅と、はっきり二つに分かれた。

指示されたテキストでは不足を感じ、私の塾に眠ったままの古い問題集を引っ張り出しコピーし、これを生徒に与えて、宿題表に書き込んで、励行を促している。

ただし、小学生には無意味で、これはやっていない。
そんなこんなで、職業意識がややよみがえり、幻燈機に向かう気持ちがなえたままだ。

趣味にいそしむことが無聊をなぐさめるほど、私は複数の趣味に没頭できぬタチで、オートバイ、模型作り、いずれも、独り身の淋しさを紛らわすものとはなっていない。

楽天日記は遊びの場。そしてここは本音をつづる場である。
最後にパソコンは役立ってくれるが、故障が多く、ストレスにもなる両刃の剣といえる。

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