080915

午前九時ごろオムツ交換。尿の色さほど黄色くはなし。便臭ややあり、手ぬぐいでふきとる。
母を起こして水100cc余りを飲ませ、おいしそうに飲む。

ついでに別の手ぬぐいを湯でぬらして、母の背中などをふく。気持ちいいとの感想を聞いて安心。

水をたっぷり飲んだせいか、またまだ九時に起きたせいか、再び横になりたいと言うので、母を寝かせる。
「じょくそう」側つまり右を下にするが痛くないと言うのでそのままにすると、まもなく寝息を立て始める。

やがて目がさめる。眠っていた時間わからず。30分近くか。
検温。6度弱。二度はかるも同じ。熱は目下のところなしとみた。
脈拍二回はかる。二回とも67回/分。

母には済まないが、記録するため二階へゆくと言って、ここへ来ているが、このあと少し休むつもりである。
父は本当の介護をこの何年かやっていないと判断。

ただ食事のしたくと、命令的な管理、そばにいても、自分もグーグー眠るだけだったと判断。
何より暑い時期のクーラー活用ゼロが最悪の処置。自分に合わせた似非介護なり。

寝不足がハッキリ出て、母の隣で横になったまま、眠りこけてしまい、午後一時過ぎ、父が敬老の日のまんじゅうの小粒のもの二つとカルピスを母に与えてくれたおかげで、母は昼まったく抜きでなくなる。
全く面目なし。

ただし、二階の自室のベッドに横になっても眠れず。

・・・・・・・・・・

夜6時過ぎ、夕食。父のいつものおかゆである。私の目下の不安は、母が外で何らかの食事を口にする時、我が家での食事のようにゆったりした気持ちで食べられるかどうかということだ。

どんなに善美を施したサービスであろうと、我が家はある意味で閉鎖的傾向を持つ。これが今の母となるとさらにどうかという不安だ。
母は自由な意志で受け入れまたは断わることがかなわないから、少々の無理な食事を断われぬかも知れないのだ。

田中クリニックを私は擁護する立場で父に対して来たが、現に入院5日目つまり退院の日も、病院食はほとんど受け付けなかったのに対し、帰宅したその日の夕食のおかゆをずいぶん食べて腹におさめている。

田中クリニックでは一口食べれば良いほうだったが、退院したこの夜、さじに軽く五杯ほどは食べ、さらにお茶なども飲んだ。

前後するが記録しておく。
午後三時ごろ検温。6度3分。脈拍は4時へかけてたびたび測ったので推移を記録する。
78→73→67。

さらに前後するが。午後三時ごろ氷枕をかえ、お茶を飲む。
のちまもなく寝息を立てる。なお、14日、日曜日朝のことを書き忘れたので記録しておくと、このオムツ交換の時、むくみが右足にも出ていると確認。

さて15日、月曜日に戻る。
この日は午前中から夕方へかけてよく眠ったようだ。
ただし、目が覚めると、しばらくして必ず身体のどこかが痛いと訴えるが、具合を問うと「仕方ないねえもう」と、私などよりしっかりした己れの容態への姿勢である。

夕食、さじにおかゆ9杯、茶わんに約半分。この量だけは病院食をしのいでいる。
のち、歯磨き。その後、眠ったり起きて痛がったりのくり返しはいつも通り。
夕食時、ベッドに腰かけた時に右太もも「じょくそう」の皮がむけているのを確認、心配である。オムツの申請をためらっている。

やり方が悪いのかも知れないが、テープ式は「じょくそう」を覆うことが出来なかった。パッドにパンツをかぶせたほうが、患部を隠しやすいと思った。
ただ、オムツとパンツ一体型だと、Mサイズでは痛がった。

実は私見に過ぎぬが、この赤い腫れは床ずれの発展ではなく、硬いパンツで又ズレのようなものが出来かかる頃、痛がったのではないか。
結果は似たような傷となっても、出来方から異なる気がする。

パンツ一体型オムツをやめてパッド式にしてからしばらくは痛がらなかった。そして、こののち赤く腫れたという気がする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

16日、火曜日深夜三時になったが、火曜日人が来ることをも考え、母のオムツ交換などを深夜一時過ぎに起きて済ませた。
検温・脈拍は省く。

「じょくそう」の皮がむけたところは、ますます広くむけてきて、痛々しいが、痛みを問うと痛くないと言う。

便臭が気になるというより、少しでも通じがあるといいと思うので、腰のあたりの便臭をかぎながらオムツ交換する。

お尻の穴のまわりがぬれているので便かと思いきや、すぐ前のところからの尿のようなにおいである。

月曜日一日で水分量は1リットルには届かぬが、300ccは超えたと推測。
なお、私の生活リズムは相変わらず夜型。これは20年間にわたる家庭教師・塾の習慣ゆえ是非もなしと独断している。



母の容態記録

2008年9月14日 日常
母の容態記録080914日曜日

午前9時ごろ、オムツを替える。尿ややあり、一部黄色。便臭あるもはっきりわかるほどは出ず。食事も少なめでもあるし、依然便秘気味か。「じょくそう」消えず。
検温6度2分。体温計のあてかたがヘタか。ただしやや暑さを感じて室温28度のところクーラー27度設定、風力2で運転するとまもなく母が涼しがるので、クーラーを切る。

この時間、頃合をみて父が水分、簡単な流動食を与えに来るので、察して母をベッド上に起こし、腰かけさせる。母が背中がかゆいと言うので、もう一枚手ぬぐいをぬるま湯にぬらして、絞って背中を二度ふく。

コップの水・お茶あわせて100cc弱飲む。カロリーメイトアップル味少々食す。余りとらず。小食ゆえ無理もなしと感ずる。
脈拍70回/分。こののち日中へかけての変化が気になる。

午前はほぼいつも体温・脈拍共に落ち着いている。
このかんほぼ一時間。10時ごろ疲れたと言うので、横にする。
まもなく目がトロンとなる。

ただいま10時15分ごろなり。

午前の記録を書き終わると、そのまま母のベッドの横に枕を置いて私も寝転ぶ。
これで午後一時ごろまで眠ってしまう。

私が目覚めてのち、母はベッドに腰かけてコップの水100ccを飲み、カロリーメイト少しを食す。母を車椅子に乗せ、茶の間に連れてゆく。
午後二時ごろ検温。6度6分。脈拍70回/分。

一、二時間ほどテレビなどを見て過ごし、「疲れた」と言うので、ベッドへ帰る。
寝かせる時、痛がる。何とか「じょくそう」のないほうを下に、左を下に横たわる。

父が缶入りカロリーメイトココア味を持って来て、母はいくらか飲めた。
検温6度6分。脈拍77回/分。

夜七時ごろ夕食。いつもの通りおかゆに昆布、カレースープを混ぜたものを、茶碗にほぼ半分、さじで9杯食べる。また豆腐をさじにたっぷり二口食べる。

前後に水、お茶をたっぷり飲む。
食後すぐ父が歯磨き。口をゆすいだ水を飲んでしまった。
飲んで毒にはなるまい。

私はそのあとすぐ七時半ごろ二階へ上がって夕食。
母は今夜も特徴の一つの不眠が出ているか。
劇的回復はもちろん、症状軽減も望めない前途を予感せざるを得なくなって来たカンがある。

それでも、かつての母でないのがとてつもなくさびしい。
それを本人にわからせられるはずもないと承知でも、高齢が脳を弱める現実が憎い。

スポーツが運動が脳を老化から守るのが不満だ。人間を人間ならしめているのは知力であるはずだ。
脳を使うことも大事だとは言っても、もうろくを逃れるために何かのマニュアルに従わねばならぬのが現実なら、人間は人間らしく老いてゆくことを天から拒否されたも同然である。

この世は生きるに値せぬ「苦の娑婆」だ。
「♪ シャバダシャバダシャバダ、パヤッパー」なんちゃって。

・・・・・・・・・・・・・

日付けが替わったが、あれからにわかに睡魔が襲ってベッドで一時間余り眠りこけて目がさめる。
母が気になり階下へゆくと、案の定母は起きてあちこち動いていて、時々痛がる。

床ずれが次々出来るようにも見え、気が休まらない。
母にのどがかわいたかと問うとかわいてるよと答えるので、コップに100ccの水をくみ、氷を浮かしてストローで飲ませると、意外によく飲み、100ccはほぼ飲み干した。

そのあと暑いかと問うと暑いと答えるので室温29度を確認し、クーラー26度強風にしてしばらくたいてみると、母はまもなく寝息を立て始めた。
ほどなく目をあけるが、いくらかは眠った様子。

水分補給のおかげと思う。
母が目覚めたところで気にはなるが明け方は気温が下がると判断し、クーラーを切り、母にお腹のところくらいまでふとんをかけて二階へ引き上げて来た。


母の容態記録

2008年9月14日 日常
20080913

いつも通り午前8時過ぎに起床、階下の母の寝室にゆき、オムツを取り替える。
尿黄色で量は常の通り、ケア・マネージャーのかたが黄色は脱水気味で良くないとのこと。

便は依然余り出ず。便臭はある。ただし手ぬぐいでお尻を拭こうと鼻を近づけると、ニオイがはっきりあり、少しは出ていると思える。便秘気味かも知れない。
また、母のいずれかの手の指にもニオイがあることが少なくなく、多分あちこちをかいている時に、お尻に触れていると察しられる。

この朝、母を腰かけさせ、コップの水を飲ませた。この午前中だけで2,300ccほど飲ませた気がするが、これを記録している今は記憶にやや自信なし。
情けない記憶力なり。

検温せり。36度5分の平熱と思ったが、これも記憶自信なし。ただ、熱はなかったと記憶している。

母、水をいささか飲んだあと、横にしたら、たちまち寝息を立てて眠り始める。
この姿にやや安心せり。

午前中にケア・マネージャーの先生が「じょくそう」の報告にご心配下さって、訪ねたいとの電話あり。介護士のレディと共に来宅。
母の脈拍(80回/分)や荒い息遣い、血圧などから「脱水症状」と判断。

オムツを替えて下さる。午前中、水分をとったためか、既に黄色ではあるが、尿がやや出ていた。

田中クリニックに入院頼むもたちまち拒否さるる。感情的になっていると確信。
即座に先生が救急医療センターまで車椅子乗車設備の車で送って下さる。
医療と一口に言うが、これほど差があるものかと複雑になる。

センターでは緊急性と認めた点のみ診るとの理屈を並べる。
仕方なく左の太ももあたりの骨のレントゲン撮影、右太ももあたりの「じょくそう」の確認のみに絞って診断可との話をのむ。

この二点異常なしと告げらるるも、電話の時、先生は医師の知識不足を指摘。
我れ、先生の「危険性あり」との忠告に正確さを感ずる。

夕方になって再び先生の車で自宅まで私と母は送っていただく。
あわただしかったとは言い訳になるが、ともかく先生にお礼を申し上げて、この日は失礼し、すぐに母に車椅子のまま夕食をとらせる。カロリーメイト少々に、おかゆをさじに9杯たっぷり食べる。間でお茶を飲ませてのどを潤し、さらに豆腐を二口ほど食べさせる。

このあと、母を何時間ぶりかでベッドに寝かせる。
疲れたところへ無事、食事をとれたためか、しばらく寝息を立てて、眠る。

この13日土曜日は塾があったので、そのかんのことはわからず。父に聞き忘れたのは怠慢なるか。
塾終了後母の様子を見にゆくと、母はいつもの通り目をあけて、押入れを見つめている。

この時、今までとは反対に左を下にして寝かせていた。だが、しばらくすると「じょくそう」のある右側の太ももあたりが痛いと訴える。
先生の指摘、ますます気になる。

ここでいつもと違う位置にカルピスの入れ物を見て、父が与えたかも知れぬと思う。私も少し母に飲ませた。なお帰宅後、何時か忘れたが二度ほど検温、6度5分以下で熱なし。

土曜夜はここまでで私は二階へ引き上げる。
また様子を見に階下へゆくかも知れぬが、ただいま深夜なるも眠れず。これではいけないのだが、たまらなくさびしく、母に世話になった日々がよみがえり、さびしさはさらに増す。

「蛍の光」のレコードを聴きたくなり、かなりのボリュームで聴く。
縁起が悪いとも思ったが、気持ちは正反対で、少しく奇跡起これかしと願ってのことなり。

涙があとからとめどなくあふれ、おえつを堪えきれず。
悲しむと同時に、悲しみ泣く快感の如き思いに浸る。これがさらなる涙とこみあげるおえつをもたらし、童子のようにひたすら泣く。

なお、母の食事などについて、「食べさせる」などと書いたが、恩を着せている思いはカケラもなし。
母もよく応えて、食べてくれたし、飲んでもくれた。





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