お母さん、疲れたんですね。これからはゆったりお過ごし下さい。
2012年2月28日 日常以下、楽天ブログの転載である。
先んじて母に訣別す (2) [ 特筆日記 ]
去年、お母さんに「もう一度元気になってくれたら、その次はぜいたくを言いません」と約束しました。
お母さんは去年12月の最後のデイ・サービスをきちんと務め終わったところで、それまで耐えて来た疲れが出たのですね。
この先のことはわかりませんが、もはや再び回復して欲しいというわがままは申しません。
お母さん、本当に疲れたんですよね。
よくここまでがんばってくれました。
デイ・サービス施設の「向日葵」に対しては、どういうわけか去年晩秋の頃から、敷居が高く感じられるようになっていました。
お母さんはいつでもどこにいても笑顔を絶やさず、穏やかにしていて、周囲から好かれていたと察します。でも私は職員の者共の冷たさをやけに感じるばかりになりました。
私の冗談は職員共の冷たい応えとなって返って来るようになりました。
お母さんが世話になったことへの恩は今や消え去りました。
他人は所詮他人、そのことをいたく感じました。
人は一人では生きていけないという、もっともらしい言葉はウソです。
不世出の空手の天才・大山倍達氏を描いた「空手バカ一代」連載当時の最初のページの言葉の通り「頼るは己の五体のみ」というのが真実です。
認知症になる以前のお母さんは、凛とした態度を保ち、世の流行などに迎合しない考えを貫いていましたね。
今のお母さんしか知らぬデイ・サービスの職員共には想像もつかない毅然たる姿勢が頼もしいほどでした。
認知症という忌まわしき病変で脳をやられれば、どんな人間とて、本来の性格を維持することは不可能です。
まことに悔しい限りですが、人間は脳の力で生きているようなものです。
その大事な脳をむしばまれれば、たとえ大学の量子論の教授とて、たちどころに量子論はおろか、自分の姓名・生年月日を言うこともかなわなくなります。
もちろん今これを書いている私も例外ではありません。
ボケ予防などというのも、ウソだと断じます。医学が驚異的な進歩を遂げて、認知症を飛躍的に改善するか完治させる治療法がみつかる時が来ないうちは、この症状は現状がまだまだ長いあいだ続くばかりであり、そのかん、介護職の者共がたつきとして働いてある程度潤うという状態が続くことでしょう。
私は遠い将来かどうか、その時に画期的治療法が確立されて、それまでいい気になって認知症介護のプロ意識でごうまんになっていた者共が、いよいよその職を追われる時が到来することを、ずっと望んでいます。
老化のせいで介護を不可欠とする人々にとっては、介護は役立つでしょうが、認知症が治る未来には、デイ・サービス・センターなどという施設は激減し、職員・ヘルパーなどの大半が失職の憂き目をみることになるはずです。
かつて雨後のたけのこの如く乱立したレンタル・ビデオ店のほとんどが壊滅したように、介護施設も同じ運命をたどる時代が来ることを信じ、願ってやみません。
その時が必ず来ると確信し、今のところは長寿をのばすことが厳しくなっているお母さんに、厚和は今、早めのお別れを申し上げておきます。
至らぬところ多々ありながらも、お母さんの下(しも)のお世話をすることが出来たことは、不肖の息子の私の生きがいでもありました。
お母さんが私を誠心誠意育ててくれた恩に、報いるほどのことはとても出来ない申し訳なさを感じておりますが、その恩の万分の一なりともお返しすべく、出来るだけのことを致しとう存じます。
ただいまから先は、いわゆる延命などという、人を人とも思わぬ無礼な医療措置は断固拒否して、お母さんが天寿を全うする日までを、見守りとう存じます。
お母さんに生んでいただき、その無償の愛情に育まれた私は幸せ者でした。
今日明日にという状態ではないと察しますが、今ここに、お別れの言葉を感謝の気持ちと共に述べることと致します。
お母さん、本当にありがとうございました。
願わくは、天寿を全うするいよいよという瞬間、絶命にいたる呼吸困難の苦しみを味わうことなく、先に意識が薄れ消え去り、文字通り眠るように旅立たれんよう。
先んじて母に訣別す (2) [ 特筆日記 ]
去年、お母さんに「もう一度元気になってくれたら、その次はぜいたくを言いません」と約束しました。
お母さんは去年12月の最後のデイ・サービスをきちんと務め終わったところで、それまで耐えて来た疲れが出たのですね。
この先のことはわかりませんが、もはや再び回復して欲しいというわがままは申しません。
お母さん、本当に疲れたんですよね。
よくここまでがんばってくれました。
デイ・サービス施設の「向日葵」に対しては、どういうわけか去年晩秋の頃から、敷居が高く感じられるようになっていました。
お母さんはいつでもどこにいても笑顔を絶やさず、穏やかにしていて、周囲から好かれていたと察します。でも私は職員の者共の冷たさをやけに感じるばかりになりました。
私の冗談は職員共の冷たい応えとなって返って来るようになりました。
お母さんが世話になったことへの恩は今や消え去りました。
他人は所詮他人、そのことをいたく感じました。
人は一人では生きていけないという、もっともらしい言葉はウソです。
不世出の空手の天才・大山倍達氏を描いた「空手バカ一代」連載当時の最初のページの言葉の通り「頼るは己の五体のみ」というのが真実です。
認知症になる以前のお母さんは、凛とした態度を保ち、世の流行などに迎合しない考えを貫いていましたね。
今のお母さんしか知らぬデイ・サービスの職員共には想像もつかない毅然たる姿勢が頼もしいほどでした。
認知症という忌まわしき病変で脳をやられれば、どんな人間とて、本来の性格を維持することは不可能です。
まことに悔しい限りですが、人間は脳の力で生きているようなものです。
その大事な脳をむしばまれれば、たとえ大学の量子論の教授とて、たちどころに量子論はおろか、自分の姓名・生年月日を言うこともかなわなくなります。
もちろん今これを書いている私も例外ではありません。
ボケ予防などというのも、ウソだと断じます。医学が驚異的な進歩を遂げて、認知症を飛躍的に改善するか完治させる治療法がみつかる時が来ないうちは、この症状は現状がまだまだ長いあいだ続くばかりであり、そのかん、介護職の者共がたつきとして働いてある程度潤うという状態が続くことでしょう。
私は遠い将来かどうか、その時に画期的治療法が確立されて、それまでいい気になって認知症介護のプロ意識でごうまんになっていた者共が、いよいよその職を追われる時が到来することを、ずっと望んでいます。
老化のせいで介護を不可欠とする人々にとっては、介護は役立つでしょうが、認知症が治る未来には、デイ・サービス・センターなどという施設は激減し、職員・ヘルパーなどの大半が失職の憂き目をみることになるはずです。
かつて雨後のたけのこの如く乱立したレンタル・ビデオ店のほとんどが壊滅したように、介護施設も同じ運命をたどる時代が来ることを信じ、願ってやみません。
その時が必ず来ると確信し、今のところは長寿をのばすことが厳しくなっているお母さんに、厚和は今、早めのお別れを申し上げておきます。
至らぬところ多々ありながらも、お母さんの下(しも)のお世話をすることが出来たことは、不肖の息子の私の生きがいでもありました。
お母さんが私を誠心誠意育ててくれた恩に、報いるほどのことはとても出来ない申し訳なさを感じておりますが、その恩の万分の一なりともお返しすべく、出来るだけのことを致しとう存じます。
ただいまから先は、いわゆる延命などという、人を人とも思わぬ無礼な医療措置は断固拒否して、お母さんが天寿を全うする日までを、見守りとう存じます。
お母さんに生んでいただき、その無償の愛情に育まれた私は幸せ者でした。
今日明日にという状態ではないと察しますが、今ここに、お別れの言葉を感謝の気持ちと共に述べることと致します。
お母さん、本当にありがとうございました。
願わくは、天寿を全うするいよいよという瞬間、絶命にいたる呼吸困難の苦しみを味わうことなく、先に意識が薄れ消え去り、文字通り眠るように旅立たれんよう。
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