お母さん、2011年になりました。
お母さん、こないだの夜は、こらえ性のない一番悪い性格が出て、お母さんを怒鳴ってしまって、ごめんなさい。
激昂して大声を出しているあいだのお母さんの表情が目に焼きついています。

はた目にはひどく当惑しているようには見えませんが、それも認知症がゆえ、頭に血がのぼっている私を、お母さんなりにただただ静かに見守るしかなかったのですね。

ほどなくお母さんは、大声で怒鳴られたことも忘れ、穏やかないつもの顔を見せてくれました。
それでも気持ちが済まずに自分が先ほどのことをあやまると、「何を言ってるんだい。そんなこと気にしなくていいんだよ」と、笑顔を浮かべ、全く無条件に許してくれました。

あらゆる争い・もめごとを嫌うのがお母さんの本来の性格ということが改めてわかりました。
大東亜戦争の東條英機氏以下のA級七戦犯に「罪は無し」と、インドのパール判事の判決と同じ意見を言ったその心に、「本来は争いはいやだ」という考えがある事実は、お母さんの偽りなき平和思想を表わしており、まことに重いものを感じます。

今さらですが認知症が憎いです。

お母さん、三たびのわがままは必ず言わないと去年書きました。
お母さんは見事に肺炎から回復して元気になりました。
でも、その回復ぶりは、階段をのぼれるまでのものとは夢にも思いませんでした。

今年、2011,年4月12日火曜日夜、ちょっと目をはなしたあいだに階段を自力でのぼってさらに降りようとしてつまずき、あばら骨を骨折するとは、さぞ痛かったでしょうね。
あの時のうめき声はお母さんのものとは聞こえませんでした。

お母さん、約束は約束です。肋骨の怪我は大変でしたが、それさえも克服しました。
それからはさすがに衰えが見られる気がしますが、もうこれ以上がんばる必要はありませんよ。

もう人生に幕を下ろしていいなどとは思いませんが、今がお母さんの晩年ということを否定することも出来ません。余り丈夫でない身体でよくぞ84まで生きました。

しかしながらお母さんに万一のことがあったあと、私は生けるしかばねとなるかも知れません。自殺した沖田浩之氏が雑誌インタビューで言っていました。
「父親が自殺した時はさほどショックではなかったが、母に病気で死なれた時はショックで心底参った」と。

今はここまでしか書けません。


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