母の様子080921
2008年9月22日 日常母の様子080921日曜日
午前九時半ごろからオムツ交換。ズシリ重い。便かなりの量。通じ良好とみられる。オムツの重さは尿の量がほとんどとみられる。
じょく瘡処置、パジャマズボン替えも含めて、約一時間。
車椅子に移って、水・カルピスあわせて150cc余り飲む(10:30~11:00)
正午ごろカルピスさらに80cc。ここまで合計230cc。「横になりたい」と言うのでベッドに移る。私も横で眠ってしまう。
二時ごろ小粒まんじゅう二つ半。食べっぷり良し。
カルピス50cc。水分合計280cc。
この時、またもベッド上、自力で上体を起こす。
4時ごろ、残るカルピス50cc飲み干す。合計330cc。
検温6度4分。
五時過ぎカロリーメイトココア味100cc飲む。合計430cc。
6:30過ぎ夕食。おかゆ半分以上食す。これが通じにつながっていると思われる。
のち歯磨き。夕食時とあわせて水150cc飲む。
合計580cc。母は元気な頃、1000cc飲むこともあったかも知れぬが、断じて最大量とも言われる1500ccは飲まなかった。
そういう私が2リットル入りペットボトルを一日でからにはしていない。
意識して健康維持をはかるのも空しきなり。
メシが食いたいヤツは勝手に食うがよかろう。
そうして西遊記の猪八戒のようになれ。
特記 / ケアマネおばさんの恐さ。
やや前のことだが母にじょく瘡、脱水症状、左太もも骨折の疑いありというので、救急医療センターへ連れて行った。
帰りの車の中でケアマネさんは「この日の医師の診断、主張を覚えておいて、後日何かの時に職務不履行を言えばいい」という意味のことを言った。
母の床ずれつまりじょく瘡はなかなかがんこなものではあるが、あの時処置していても、いずれ傷は広がったと思われる。
現代は何でも訴えることで家族たちが恨みを晴らそうとしている傾向を感じるが、人には皆「星」というものがあることもそろそろ考えてはどうか。
物事の原因をすべて外に求めてばかりいると、経験が経験でなくなり、遂に人は経験をしなくなる。
古い話だが、亡き伯父は、昭和18年、22才くらいの頃、当時の岳南堂病院で静岡の日赤からも呼んだ医師たちに腸チフスと誤診され、チフス菌を注射されてたちまちその日のうちに40度の熱を出し、菌が脳に達してうわごとを言いながら息を引き取った。
戦時下ということもあったろうが、ならば戦地、前線の将兵は、武器・弾薬乏しいのみならず、現地の疫病にも倒れていったはずだ。
無論、今なら医療ミス訴訟となったかも知れぬが、祖父、祖母たち遺族は、悲しみに沈みながらも長男(伯父)の葬儀一切を済ませた。
そしていっときは、店をたたんで「遍路の旅に出よう」とまで決めかかったそうだ。
私は何とかいうイニシャルの心臓復活装置が嫌いだ。
人の寿命が機械で往生際の悪さ、未練を復活させられている。
母を復活させられるなら、それまで摂らなかったはずの水分量範囲で、食事量で復活させ、元気にさせてあげたい。―特記終―
私の生活も不規則だが、日曜日は母の水分補給に意識を向けたせいか、夜8時ごろベッドで眠りこけ、目が覚めると、テレビで「男たちの大和」をやっていた。
三時間余り眠りこけたことになる。
のち起き出してこの記録をつづる。
夜中の二時ごろ、階下の母の様子を見にゆく。のどの様子を問うたら、のどがかわいたと言うので、カロリーメイトココア味の残りピタリ100ccをコップに移す。
ここまでを合計して良いなら、合計680cc。
母は実に飲み干した。おいしいといいながらだからのどもかわいていたのだろう。
自力で自発で水分を摂れないのが悔しいことだ。
亡きコラムニストの山本夏彦氏によると、太古の恐竜は巨大になり過ぎたがために滅びた。くだくだしい科学の理屈よりもうなずける気がする。
そして山本氏は、人は脳みそが巨大になり過ぎたあげくに滅びるという。
これもなにゆえか首肯出来る説得力を持つ。
天の創造物最大の失敗作は人類である。今は我々人間が苦しんでいるが、そのうち天が苦しみ悩む時が来るべきだ。
この世は生きるに値せぬところだ。
西岸良平氏の漫画にこんなのがある。
ある星の住人の死は、病でも衰えでもない。ある日次第に身体全体がだるくなって来て、やがて眠りながら最期となる。
西岸氏の漫画は、地球を訪れたこの宇宙人が、老いてゆく地球人の変化のほうが自然だと思うように描いているが、私は反対である。
亡き祖母はよくこう言った。「この世は苦の娑婆だよ」と。
我が村松家にはこの血が継がれていると思う。他人がどう思おうとかまわぬ。
午前九時半ごろからオムツ交換。ズシリ重い。便かなりの量。通じ良好とみられる。オムツの重さは尿の量がほとんどとみられる。
じょく瘡処置、パジャマズボン替えも含めて、約一時間。
車椅子に移って、水・カルピスあわせて150cc余り飲む(10:30~11:00)
正午ごろカルピスさらに80cc。ここまで合計230cc。「横になりたい」と言うのでベッドに移る。私も横で眠ってしまう。
二時ごろ小粒まんじゅう二つ半。食べっぷり良し。
カルピス50cc。水分合計280cc。
この時、またもベッド上、自力で上体を起こす。
4時ごろ、残るカルピス50cc飲み干す。合計330cc。
検温6度4分。
五時過ぎカロリーメイトココア味100cc飲む。合計430cc。
6:30過ぎ夕食。おかゆ半分以上食す。これが通じにつながっていると思われる。
のち歯磨き。夕食時とあわせて水150cc飲む。
合計580cc。母は元気な頃、1000cc飲むこともあったかも知れぬが、断じて最大量とも言われる1500ccは飲まなかった。
そういう私が2リットル入りペットボトルを一日でからにはしていない。
意識して健康維持をはかるのも空しきなり。
メシが食いたいヤツは勝手に食うがよかろう。
そうして西遊記の猪八戒のようになれ。
特記 / ケアマネおばさんの恐さ。
やや前のことだが母にじょく瘡、脱水症状、左太もも骨折の疑いありというので、救急医療センターへ連れて行った。
帰りの車の中でケアマネさんは「この日の医師の診断、主張を覚えておいて、後日何かの時に職務不履行を言えばいい」という意味のことを言った。
母の床ずれつまりじょく瘡はなかなかがんこなものではあるが、あの時処置していても、いずれ傷は広がったと思われる。
現代は何でも訴えることで家族たちが恨みを晴らそうとしている傾向を感じるが、人には皆「星」というものがあることもそろそろ考えてはどうか。
物事の原因をすべて外に求めてばかりいると、経験が経験でなくなり、遂に人は経験をしなくなる。
古い話だが、亡き伯父は、昭和18年、22才くらいの頃、当時の岳南堂病院で静岡の日赤からも呼んだ医師たちに腸チフスと誤診され、チフス菌を注射されてたちまちその日のうちに40度の熱を出し、菌が脳に達してうわごとを言いながら息を引き取った。
戦時下ということもあったろうが、ならば戦地、前線の将兵は、武器・弾薬乏しいのみならず、現地の疫病にも倒れていったはずだ。
無論、今なら医療ミス訴訟となったかも知れぬが、祖父、祖母たち遺族は、悲しみに沈みながらも長男(伯父)の葬儀一切を済ませた。
そしていっときは、店をたたんで「遍路の旅に出よう」とまで決めかかったそうだ。
私は何とかいうイニシャルの心臓復活装置が嫌いだ。
人の寿命が機械で往生際の悪さ、未練を復活させられている。
母を復活させられるなら、それまで摂らなかったはずの水分量範囲で、食事量で復活させ、元気にさせてあげたい。―特記終―
私の生活も不規則だが、日曜日は母の水分補給に意識を向けたせいか、夜8時ごろベッドで眠りこけ、目が覚めると、テレビで「男たちの大和」をやっていた。
三時間余り眠りこけたことになる。
のち起き出してこの記録をつづる。
夜中の二時ごろ、階下の母の様子を見にゆく。のどの様子を問うたら、のどがかわいたと言うので、カロリーメイトココア味の残りピタリ100ccをコップに移す。
ここまでを合計して良いなら、合計680cc。
母は実に飲み干した。おいしいといいながらだからのどもかわいていたのだろう。
自力で自発で水分を摂れないのが悔しいことだ。
亡きコラムニストの山本夏彦氏によると、太古の恐竜は巨大になり過ぎたがために滅びた。くだくだしい科学の理屈よりもうなずける気がする。
そして山本氏は、人は脳みそが巨大になり過ぎたあげくに滅びるという。
これもなにゆえか首肯出来る説得力を持つ。
天の創造物最大の失敗作は人類である。今は我々人間が苦しんでいるが、そのうち天が苦しみ悩む時が来るべきだ。
この世は生きるに値せぬところだ。
西岸良平氏の漫画にこんなのがある。
ある星の住人の死は、病でも衰えでもない。ある日次第に身体全体がだるくなって来て、やがて眠りながら最期となる。
西岸氏の漫画は、地球を訪れたこの宇宙人が、老いてゆく地球人の変化のほうが自然だと思うように描いているが、私は反対である。
亡き祖母はよくこう言った。「この世は苦の娑婆だよ」と。
我が村松家にはこの血が継がれていると思う。他人がどう思おうとかまわぬ。
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