7月23日付で、「和子」さんと名乗る婦人からコメントが寄せられているが、失礼または残念ながら、私はこの名前の婦人を知らない。
しかも、コメントとはいっても、どの日記に対するコメントかがわからない、まあ、あいさつ言葉程度だから、いろいろなことを書いている私にも、コメントにどう答えたものか、わからない。

ただ一人同名で思い当たる婦人がいる。この人は亡き兄の細君である。
私の日記の過去の内容まで読んだとしたら、多分余り心証は良くないことと察する。

一応弁解しておく。
私が「亡兄を偲ぶ」と題して書いた一、二年前の日記は、さらに十一年ほどさかのぼる平成7年、兄が白血病で帰らぬ人となった直後に書いた本物の日記帳を引き合いに出したりして書いた、当時の心境に合わせたものである。

このころもその後しばらくも、兄嫁と我が家とのあいだにはずいぶん冷えた関係が続いた。
だが、今や兄嫁の三人の子も、見違えるほど頼もしげに成長し、遂に全員、成人に達した。

確かにまだ甥が三人とも少年だったころ、私はあなどり気味だった。
兄嫁・和子さんが「私には三人の宝物があります」という意味のことを言ったとき、正直「ふうん、宝物ねえ・・・」といくらかシラけた思いで聞いたものだ。

だが、彼女が女手一つで育てた三人が三人とも、驚くほどたくましくなり、しかも私に対しても如才ない姿勢・会話のやりとりを見せるのを知り、苦労もあったろうが、兄嫁はたいした人だと思った。

先日、日帰りで我が家を訪れた時の様子も、兄嫁は、「私は苦労しました」という影を全く顔に表わさないから、むしろ私はこの婦人の心丈夫さに敬意を持った。

和子さんは、私と同い年だ。普通、この年齢になると、容色が衰えて来るものだが、彼女は11年前より、つやっぽくなり、魅力的に見えた。
後家を通す決意かも知れないが、職場の男子に人気があるに違いないと察したい。

かつて兄は「あいつのほうから俺にほれたんだ」というようなことを言ったが、兄には悪いが、どうも疑問がある。
結局、相思相愛の仲になって所帯を持ったのではないか。

兄嫁はその姿を写真に撮られることを極度に嫌うが、ナニ、私のような不細工男に比べたら、彼女の写真写りは、格段に上だ。
私が魅力があると認めているのだから、本当はどんどん被写体に、モデルになるべきだと思うのだが、兄嫁はけんそんし過ぎる。

また、三人の子達は、母親の器量を時に茶化す場面があったと記憶するが、見る目がないと言いたい。
この子達のお母さんは、実の子供の曇った目には見えない美しさがある。

余り称えると、亡き兄がヤキモチを焼いても困るので、このへんで手をとめる。
なお、次男は抜群の英会話力を身につけていると聞く。
さらに三男も英会話が出来る。

11年前、兄嫁が「三人の宝物」と言ったのは、正しかった。

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