息子へのクリスマスプレゼント
2005年12月23日平成8年ごろ一旦別れた相手(婚姻届未提出、ゆえに離婚でもないが、事実上このように表現)とは、初めから別居だった。
塾経営は前年まで、収入だけに限ると順調だったから、同居の話し合いをしたが、この平成七年兄が病死するや、体調を次第に崩し、平成八年には、仕事が苦痛になり、それをこらえての一年にわたる仕事継続だった。
暮れ近くに遂に苦痛に負け、休業。収入がないのだからと、同居話を白紙に戻し、同時に子供の扶養を相手に任せた。
翌平成九年、なんとか立ち直ったものの、塾は傾き始めた。
月収は二十万を切った。
このまま平成十一年まで低迷を続ける。
翌平成十二年には月収が一ケタになり、パートで補おうとするも、仕事が続かず、再び一ケタ月収に戻る(仕事は洗濯屋のプレス作業)。
相手の助言で、四十七歳にして隠居。ジオラマ製作などで気を紛らすが、二度とやるつもりのなかった家庭教師をぼつぼつ始める。
平成十三年、パソコン交流を得て、ジオラマをホームページに掲載する作業を知り合ったたかはしさんに一任。
この夏の夜、仕事帰りにストリート・ファイトをしたことも原因して、家庭教師センターと縁を切る。
再び無収入。即座に静岡の別の会社に登録して、細々家庭教師を始める。
さらに塾再開のはこびとなり、二つの形で依然わずかながら定期収入を得るようになる。
さかのぼって平成十二年秋から、相手とのひんぱんな行き来を再開。
なお、子供に会いにゆくことは、平成九年以後も継続、成長の様子を見続ける。
私に出来るささやかな援助は、零細な収入がある程度たまった頃の送金と、毎年の折々のプレゼント。子供への物なのは言うまでもない。
今年のクリスマスプレゼントは既に決定、宅配の手続き完了。
もはやイヴまで気を持たせる年齢にもあらじと判断、品物の正体を告げる。
子供の日本拳法練習用「キックミット」と「ローキックパンツ」である。
ローキックパンツは、やや使い勝手が気になる。無用の長物に終わらぬ優れた用具になることを期待するのみ。
塾経営は前年まで、収入だけに限ると順調だったから、同居の話し合いをしたが、この平成七年兄が病死するや、体調を次第に崩し、平成八年には、仕事が苦痛になり、それをこらえての一年にわたる仕事継続だった。
暮れ近くに遂に苦痛に負け、休業。収入がないのだからと、同居話を白紙に戻し、同時に子供の扶養を相手に任せた。
翌平成九年、なんとか立ち直ったものの、塾は傾き始めた。
月収は二十万を切った。
このまま平成十一年まで低迷を続ける。
翌平成十二年には月収が一ケタになり、パートで補おうとするも、仕事が続かず、再び一ケタ月収に戻る(仕事は洗濯屋のプレス作業)。
相手の助言で、四十七歳にして隠居。ジオラマ製作などで気を紛らすが、二度とやるつもりのなかった家庭教師をぼつぼつ始める。
平成十三年、パソコン交流を得て、ジオラマをホームページに掲載する作業を知り合ったたかはしさんに一任。
この夏の夜、仕事帰りにストリート・ファイトをしたことも原因して、家庭教師センターと縁を切る。
再び無収入。即座に静岡の別の会社に登録して、細々家庭教師を始める。
さらに塾再開のはこびとなり、二つの形で依然わずかながら定期収入を得るようになる。
さかのぼって平成十二年秋から、相手とのひんぱんな行き来を再開。
なお、子供に会いにゆくことは、平成九年以後も継続、成長の様子を見続ける。
私に出来るささやかな援助は、零細な収入がある程度たまった頃の送金と、毎年の折々のプレゼント。子供への物なのは言うまでもない。
今年のクリスマスプレゼントは既に決定、宅配の手続き完了。
もはやイヴまで気を持たせる年齢にもあらじと判断、品物の正体を告げる。
子供の日本拳法練習用「キックミット」と「ローキックパンツ」である。
ローキックパンツは、やや使い勝手が気になる。無用の長物に終わらぬ優れた用具になることを期待するのみ。
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