ゼファーレディより、七色仮面へ
2005年8月15日ゼファーレディこと、夕子から、突然のメールあり。
お互いの出会いを初めとする脚色にメスを入れて、軌道修正しないかとの提案なり。
以下、箇条書きに傾くかも知れないが、書いてみる。
○出会い/ 我れ26、夕子16。バイクが縁。ただし、さほどのめり込まぬうちに、自然消滅となる。これが真実なり。
○再会/ 平成14年8月9日(金曜日)。箱根にて。我がバイク、ホンダCB900ホーネット逆車。相手のバイク、カワサキバリオス250cc。
○十数年ぶりの再会と言いたいところだが、この時より何年か前に連絡を取り始めていた。
当時、正式に結婚せる相手と破局になり、離婚直後なり。一子を設けたる直後とのこと。我れ、いささか驚く。
○箱根での再会の夜、我がパソコンに初めて夕子からのメールが届く。
お互いいささか老けたるも、我が印象、離婚せし男より柔和なるとの評価を受ける。突然の事がらの連続に、さすがに我れ複雑な心境のまま、当たり障りのないメールを返す。
○夕子からのメール続々。我れも年来の孤独に退屈もし、気が滅入りがちな日常の連続なれば、彼女からのメール攻勢に、次第に心が動いていく。
○平成15年楽天日記開設。この六月ごろ、他の人々には意味不明ととれそうな日記をつづる。夕子とやり直す気持ちが生じたことを示唆する内容なり。今読んでも既に我れも又意味不明の箇所はなはだあり。
○夕子から楽天日記を毎日読み続けているとのメールあり。また会いたいとの意思表示併せてなり。
即答を控える。メールやりとりは続行。
○我れ日記への意欲、この年が最高潮なり。
半年ほどのちの十二月再会の決心がつき、その旨メールせり。「うれしいけれど待遠しい」との返信すぐに届く。
○十二月某日、再会場所、やはり箱根。
ここで夕子から提案。楽天日記に登場したいとのこと。
ただし、世間体が悪いゆえ、脚色を請うと、切望。我れ、提案を呑む。
提案内容以下の如し。
○彼女の離婚歴をまず脚色。
前の亭主の存在を消す。代わりに我れを代入。一子は、我が実の息子と設定。無論、生さぬ仲なり。いや、この言葉遣い自体、正しいかは怪しいが、ほかに浮かぶ言葉もないので使う。
○一子は男子なり。楽天日記には当分出さないと決定。
彼女の息子、当時小学生なれども、なぜか私になつく。通ううちに、情が移る。「ナナハンのおじさん」と呼ばれる。
○夕子に忌まわしき過去あり。彼女は幼時、実母の虐待に苦しむ明け暮れで、その実母は、ある日彼女にこれまでにない凄絶な虐待を与えて、精神科に入院。
○実父は己の不明を恥じ、かつ、ノイローゼになり自殺。
夕子はこれらの事実を伏せてもらいたいと切望。我れ、これを呑む。
○夕子の高校・大学に著しき脚色を施すことで協議まとまる。
楽天日記に、夕子との出会いから今日に至る経過を創作同然で不定期連載開始。
○平成16年、彼女との間に溝が出来る。
我れ、独力ではいかんともし難しと痛感せり。
音信不通となる。
○同年晩秋、夕子からメールあり。
さらにやり直そうとのこと。我れ、もはやいずれの結果に終っても良いとの心境に至り、何度目かの再会。夕子、楽天日記開設せるも、すぐに閉鎖。
○平成16年終わりごろ、夕子の一子を日の丸童子として日記に登場させる。再び夕子とケンカ。日の丸童子の日記、彼女の意思で閉鎖。
○明けて平成17年、夕子、ゼファーレディの名で、日記開設。彼女としては前年に続いて二度目なり。
以上つづったように、彼女、我々の付き合いの脚色部分を修正して、真実を明かしたいと提案。ただし、楽天日記にはさすがに書けないので、これも協議のすえ、ここに書くことに決定。
楽天日記交流の人でこの日記を読む人は、まずほとんどいないと思うが、いずれ誰かに読まれても仕方ないと意見が一致し、かかる日記をつづった次第。
脚色が過ぎたが、共犯なり。そして、まだこれだけでは、すべてを明かしてはいない。
いずれ徐々に明かしてゆき、いずれ夕子は楽天日記を去り、そして。
私との実りなき縁にも終止符を打つことをようやく決意せり。
これは私の提案・希望である。
彼女は遂に住まいなど、個人情報を伏せたまま、楽天日記から姿を消し、私との付き合いにもけじめをつけることに同意した。
一子のためである。
私は結局元の状態に戻ることになる。
なお、当分、楽天日記には、ある程度の脚色を施したまま、付き合い継続を思わせる内容でつづるかも知れない。
お互いの出会いを初めとする脚色にメスを入れて、軌道修正しないかとの提案なり。
以下、箇条書きに傾くかも知れないが、書いてみる。
○出会い/ 我れ26、夕子16。バイクが縁。ただし、さほどのめり込まぬうちに、自然消滅となる。これが真実なり。
○再会/ 平成14年8月9日(金曜日)。箱根にて。我がバイク、ホンダCB900ホーネット逆車。相手のバイク、カワサキバリオス250cc。
○十数年ぶりの再会と言いたいところだが、この時より何年か前に連絡を取り始めていた。
当時、正式に結婚せる相手と破局になり、離婚直後なり。一子を設けたる直後とのこと。我れ、いささか驚く。
○箱根での再会の夜、我がパソコンに初めて夕子からのメールが届く。
お互いいささか老けたるも、我が印象、離婚せし男より柔和なるとの評価を受ける。突然の事がらの連続に、さすがに我れ複雑な心境のまま、当たり障りのないメールを返す。
○夕子からのメール続々。我れも年来の孤独に退屈もし、気が滅入りがちな日常の連続なれば、彼女からのメール攻勢に、次第に心が動いていく。
○平成15年楽天日記開設。この六月ごろ、他の人々には意味不明ととれそうな日記をつづる。夕子とやり直す気持ちが生じたことを示唆する内容なり。今読んでも既に我れも又意味不明の箇所はなはだあり。
○夕子から楽天日記を毎日読み続けているとのメールあり。また会いたいとの意思表示併せてなり。
即答を控える。メールやりとりは続行。
○我れ日記への意欲、この年が最高潮なり。
半年ほどのちの十二月再会の決心がつき、その旨メールせり。「うれしいけれど待遠しい」との返信すぐに届く。
○十二月某日、再会場所、やはり箱根。
ここで夕子から提案。楽天日記に登場したいとのこと。
ただし、世間体が悪いゆえ、脚色を請うと、切望。我れ、提案を呑む。
提案内容以下の如し。
○彼女の離婚歴をまず脚色。
前の亭主の存在を消す。代わりに我れを代入。一子は、我が実の息子と設定。無論、生さぬ仲なり。いや、この言葉遣い自体、正しいかは怪しいが、ほかに浮かぶ言葉もないので使う。
○一子は男子なり。楽天日記には当分出さないと決定。
彼女の息子、当時小学生なれども、なぜか私になつく。通ううちに、情が移る。「ナナハンのおじさん」と呼ばれる。
○夕子に忌まわしき過去あり。彼女は幼時、実母の虐待に苦しむ明け暮れで、その実母は、ある日彼女にこれまでにない凄絶な虐待を与えて、精神科に入院。
○実父は己の不明を恥じ、かつ、ノイローゼになり自殺。
夕子はこれらの事実を伏せてもらいたいと切望。我れ、これを呑む。
○夕子の高校・大学に著しき脚色を施すことで協議まとまる。
楽天日記に、夕子との出会いから今日に至る経過を創作同然で不定期連載開始。
○平成16年、彼女との間に溝が出来る。
我れ、独力ではいかんともし難しと痛感せり。
音信不通となる。
○同年晩秋、夕子からメールあり。
さらにやり直そうとのこと。我れ、もはやいずれの結果に終っても良いとの心境に至り、何度目かの再会。夕子、楽天日記開設せるも、すぐに閉鎖。
○平成16年終わりごろ、夕子の一子を日の丸童子として日記に登場させる。再び夕子とケンカ。日の丸童子の日記、彼女の意思で閉鎖。
○明けて平成17年、夕子、ゼファーレディの名で、日記開設。彼女としては前年に続いて二度目なり。
以上つづったように、彼女、我々の付き合いの脚色部分を修正して、真実を明かしたいと提案。ただし、楽天日記にはさすがに書けないので、これも協議のすえ、ここに書くことに決定。
楽天日記交流の人でこの日記を読む人は、まずほとんどいないと思うが、いずれ誰かに読まれても仕方ないと意見が一致し、かかる日記をつづった次第。
脚色が過ぎたが、共犯なり。そして、まだこれだけでは、すべてを明かしてはいない。
いずれ徐々に明かしてゆき、いずれ夕子は楽天日記を去り、そして。
私との実りなき縁にも終止符を打つことをようやく決意せり。
これは私の提案・希望である。
彼女は遂に住まいなど、個人情報を伏せたまま、楽天日記から姿を消し、私との付き合いにもけじめをつけることに同意した。
一子のためである。
私は結局元の状態に戻ることになる。
なお、当分、楽天日記には、ある程度の脚色を施したまま、付き合い継続を思わせる内容でつづるかも知れない。
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