楽天日記に書きにくい事がら・弁解(幻燈機その他)
2005年5月28日幻燈機制作がやや順調だったが、まもなくNEC製パソコンの本体部品が壊れ、メーカーへ送っての修理となった。
まるまる二週間かかり、直り到着との連絡を受けて機械を持ち帰った時は、すぐにセットする気にはなれなかった。
パソコンは「白物家電」といわれる冷蔵庫などとは正反対または特殊領域の家電製品だという。
やはり私はこの手の機械ものは苦手だ。
それが、すぐにはセットしない結果に表われた気がする。
スパイウエアが知らぬ間に侵入したと思ったら、数日後の検索では消えていたり、その代わり、不審なメールが届き、それも私に抗議する口調で書いてあったりと、不快な思いもした。
今ようやくいじる気になったのは、三年目にはいった楽天日記だが、そのことをここ、ダイアリー・ノートにつづる皮肉。
自分のことをたなに上げるが、それにしても何も面白くない日記が、猛烈なアクセス増加を続けるのに接すると、合点がいかぬ。
よし、私の日記もいばれたものでないとしても、一部主婦の日記は、井戸端会議の話題を独りで書くが如きで、どうしてこんなのがアクセスをかせぐのか、やはりけげんだ。
この手の主婦たちはいわゆる本物の日記帳を書いているのか。
多分そうではないと察する。
自らの手でシャープペンなどを持ち、ノートにつづる日記は書いてはおるまい。
ある主婦は縫いぐるみ三昧である。
開設の頃、ずいぶん行き来したが、ある時から私の日記は完全に無視された。
既にその主婦の日記への興味、私もまた既になく、つまらなそうなタイトルだけが私の日記トップに毎日現われる。
だが皮肉なことにその主婦の紹介でほんのわずか遅れてリンクしたもう一人の関西の主婦の日記のほうが、気を楽にして読める。
同じ日常の雑記でも、人柄が出る一例であろう。
常連の中にこれまた嫌いな主婦がいるから、私はめったにコメントしないが、この関西の主婦は、私の日記を見限らずにいてくれる。
気分が沈んでいる時は、他人の不幸は我が喜びというのを見事に否定するように、ごく自然なコメントを書いてくれるから、私は閉鎖を何度か思いとどまった。
この関西の主婦に心臓などの持病があるのが皮肉である。
健やかにいてほしいと願う一人なのである。
このところ、いや、もうずっと、初めにインパクトを与えた趣味以外の、花々への一方ならぬ愛着とそれらを育てる丹精を画像交じりでつづることが多い。
私は実は庭木も含めて、植物への興味が余りない。
母に似て、興味を持てる人間になりたかったが、興味なき父に似てしまった。
ただし、鑑賞の興味はある。
オートバイに乗ってて、信号待ちなどで停止する時、ふとどこかの家の庭にきれいな花などを見つけると、つかの間目の保養をするのだ。
さて、幻燈機中断の弁明。
ただいま斡旋を受けての家庭教師をほんの数件やっているが、成績がいずれの生徒も伸びない。
クビにならぬうちは続けるつもりで一日も休まず通ううちに、かつて2.30代のころやっていた家庭教師の頃の感覚がやや戻って来て、センター指示内容以外のいわばサービスもするようになった。
私も人の子なれば、この生徒には時間延長しようとの気持ちがわく場合とその反対が生ずる。
時間きっちりで辞去するお宅とそうでないお宅と、はっきり二つに分かれた。
指示されたテキストでは不足を感じ、私の塾に眠ったままの古い問題集を引っ張り出しコピーし、これを生徒に与えて、宿題表に書き込んで、励行を促している。
ただし、小学生には無意味で、これはやっていない。
そんなこんなで、職業意識がややよみがえり、幻燈機に向かう気持ちがなえたままだ。
趣味にいそしむことが無聊をなぐさめるほど、私は複数の趣味に没頭できぬタチで、オートバイ、模型作り、いずれも、独り身の淋しさを紛らわすものとはなっていない。
楽天日記は遊びの場。そしてここは本音をつづる場である。
最後にパソコンは役立ってくれるが、故障が多く、ストレスにもなる両刃の剣といえる。
まるまる二週間かかり、直り到着との連絡を受けて機械を持ち帰った時は、すぐにセットする気にはなれなかった。
パソコンは「白物家電」といわれる冷蔵庫などとは正反対または特殊領域の家電製品だという。
やはり私はこの手の機械ものは苦手だ。
それが、すぐにはセットしない結果に表われた気がする。
スパイウエアが知らぬ間に侵入したと思ったら、数日後の検索では消えていたり、その代わり、不審なメールが届き、それも私に抗議する口調で書いてあったりと、不快な思いもした。
今ようやくいじる気になったのは、三年目にはいった楽天日記だが、そのことをここ、ダイアリー・ノートにつづる皮肉。
自分のことをたなに上げるが、それにしても何も面白くない日記が、猛烈なアクセス増加を続けるのに接すると、合点がいかぬ。
よし、私の日記もいばれたものでないとしても、一部主婦の日記は、井戸端会議の話題を独りで書くが如きで、どうしてこんなのがアクセスをかせぐのか、やはりけげんだ。
この手の主婦たちはいわゆる本物の日記帳を書いているのか。
多分そうではないと察する。
自らの手でシャープペンなどを持ち、ノートにつづる日記は書いてはおるまい。
ある主婦は縫いぐるみ三昧である。
開設の頃、ずいぶん行き来したが、ある時から私の日記は完全に無視された。
既にその主婦の日記への興味、私もまた既になく、つまらなそうなタイトルだけが私の日記トップに毎日現われる。
だが皮肉なことにその主婦の紹介でほんのわずか遅れてリンクしたもう一人の関西の主婦の日記のほうが、気を楽にして読める。
同じ日常の雑記でも、人柄が出る一例であろう。
常連の中にこれまた嫌いな主婦がいるから、私はめったにコメントしないが、この関西の主婦は、私の日記を見限らずにいてくれる。
気分が沈んでいる時は、他人の不幸は我が喜びというのを見事に否定するように、ごく自然なコメントを書いてくれるから、私は閉鎖を何度か思いとどまった。
この関西の主婦に心臓などの持病があるのが皮肉である。
健やかにいてほしいと願う一人なのである。
このところ、いや、もうずっと、初めにインパクトを与えた趣味以外の、花々への一方ならぬ愛着とそれらを育てる丹精を画像交じりでつづることが多い。
私は実は庭木も含めて、植物への興味が余りない。
母に似て、興味を持てる人間になりたかったが、興味なき父に似てしまった。
ただし、鑑賞の興味はある。
オートバイに乗ってて、信号待ちなどで停止する時、ふとどこかの家の庭にきれいな花などを見つけると、つかの間目の保養をするのだ。
さて、幻燈機中断の弁明。
ただいま斡旋を受けての家庭教師をほんの数件やっているが、成績がいずれの生徒も伸びない。
クビにならぬうちは続けるつもりで一日も休まず通ううちに、かつて2.30代のころやっていた家庭教師の頃の感覚がやや戻って来て、センター指示内容以外のいわばサービスもするようになった。
私も人の子なれば、この生徒には時間延長しようとの気持ちがわく場合とその反対が生ずる。
時間きっちりで辞去するお宅とそうでないお宅と、はっきり二つに分かれた。
指示されたテキストでは不足を感じ、私の塾に眠ったままの古い問題集を引っ張り出しコピーし、これを生徒に与えて、宿題表に書き込んで、励行を促している。
ただし、小学生には無意味で、これはやっていない。
そんなこんなで、職業意識がややよみがえり、幻燈機に向かう気持ちがなえたままだ。
趣味にいそしむことが無聊をなぐさめるほど、私は複数の趣味に没頭できぬタチで、オートバイ、模型作り、いずれも、独り身の淋しさを紛らわすものとはなっていない。
楽天日記は遊びの場。そしてここは本音をつづる場である。
最後にパソコンは役立ってくれるが、故障が多く、ストレスにもなる両刃の剣といえる。
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