楽天日記いささか整理をす
2005年1月30日前回日記に書いた通り、即座に日記一つを閉鎖。
そして、これまで画像がバツ印にならぬよう配慮して来たが、これも、どうでも良くなり、画像倉庫を次々整理し、60枚台にまで減らした。
さて、正直なところ、連日つづって来た楽天日記も、状況一大変化を経験したことにもより、テーマも何もなく漫然とつづるだけの作業に疲れた。
実はここで一旦閉鎖も考えてみた。
我がアクセスは開設当初が余りにも少ないので、今後一日でも書かなければ激減する。
これも未練と割り切ろうかと思っている。
人に見せるのが公表日記の目的ならば、私の望んだ日記ではない。
日記交流も私の望むところではない。
パソコンという機械の画面に日記が現れる面白さを楽しむのが当初の目的だった。
日曜付の日記は百件をわずか超えたばかりで、やはり戦記テーマはアクセスがのびない。
のびずとも良いが、更にマイペースを目指すには、何を書こうか、文案に行き詰まり、キーボードの手が鈍る。
ここで昨年のこの時期のことを思い出した。
深夜の風呂屋の清掃のアルバイトに出たものの、三日ならぬ四日坊主でやめたあと、生活がやや荒れた。ふてくされて、寝床にもぐりっぱなしの生活が続いた。
このかん、楽天日記は、「本日休筆」とさえ書いていない。
これがほぼ一ヶ月続いた。アクセスも激減した。書き込み率も90パーセントを割った。
二月ごろから復帰し始めた。
だが、私の復帰を祝う人は一人もいなかった。
実物も人からけいえんされるなら、日記も同断だ。
今後はどんな心構えで書いていこうか。
今、頭の中はからっぽである。
もし、私の日記を、エネルギッシュだと思う人があるなら、誤解である。
書くからには元気を装うし、どうせ書くなら連日書く。
ゆえにスタミナは減っているのだ。
本物の運動をしているわけではないから、何かしら書ける。
それでもスタミナは減り続けている。
去年暮れ近くからここまでは、時々「実験日記」とでも言うべきことを行なってきた。
これも一段落の感がある。
今年は孤独に徹する年である。
孤独な生活に甘んじようという人間に何が書けるか。
大好きな兄亡きあとの生活はおだぶつを待つあいだのオマケである。
兄以外に、本心を話せる者は一人もいない。
出た大学レベルは兄がいささか優る。
とりあえずいずれも国公立理系で、対等とみなすことにする。兄よ、許されよ。
学歴レベルの対等は、会話にも影響する。
兄が私に優って、私は聞き手に回った。これを私は喜んだ。
賢兄愚弟で満足なのだった。
兄が大好きだったからだ。
本来なら兄は優秀、私はとりえなしで大人になるところだった。
兄が様々に啓発してくれた。
中学に入るころ、私は兄と同じ高校へ進むとは思っていなかった。
親も思っていなかった。
兄と同じ学力レベルで高校に臨めることになったのは、中三の時だった。
高校ではさすがに最下位をうろつくと思ったが、これも兄の良き影響で、国立大学に現役合格した。
兄は常に良き先輩であり、長じては友の如きものだった。
その兄をわずか46で失った私はぬけがら同然である。
今も、うつろな心のまま、なんとなく生きているていである。
その兄の享年を既に過ぎた。
私は未だに兄の死を承知していない。
心は既にズタズタになりきって、今はつぎはぎだらけの心で生きている。
楽天日記。これも急速にくだらなく思えてきた。
実はパソコンの具合が悪い。
この機械が壊れる時を狙って、楽天日記休筆に入ろうかとも思っている。
以前60才を視野に入れたなぞと書いたが、気力は急速になえている。
別に誰かに約束したわけでもない。
気が変わることはある。
キーボードを打つ手の動きが鈍くなった。ここでとめる。
そして、これまで画像がバツ印にならぬよう配慮して来たが、これも、どうでも良くなり、画像倉庫を次々整理し、60枚台にまで減らした。
さて、正直なところ、連日つづって来た楽天日記も、状況一大変化を経験したことにもより、テーマも何もなく漫然とつづるだけの作業に疲れた。
実はここで一旦閉鎖も考えてみた。
我がアクセスは開設当初が余りにも少ないので、今後一日でも書かなければ激減する。
これも未練と割り切ろうかと思っている。
人に見せるのが公表日記の目的ならば、私の望んだ日記ではない。
日記交流も私の望むところではない。
パソコンという機械の画面に日記が現れる面白さを楽しむのが当初の目的だった。
日曜付の日記は百件をわずか超えたばかりで、やはり戦記テーマはアクセスがのびない。
のびずとも良いが、更にマイペースを目指すには、何を書こうか、文案に行き詰まり、キーボードの手が鈍る。
ここで昨年のこの時期のことを思い出した。
深夜の風呂屋の清掃のアルバイトに出たものの、三日ならぬ四日坊主でやめたあと、生活がやや荒れた。ふてくされて、寝床にもぐりっぱなしの生活が続いた。
このかん、楽天日記は、「本日休筆」とさえ書いていない。
これがほぼ一ヶ月続いた。アクセスも激減した。書き込み率も90パーセントを割った。
二月ごろから復帰し始めた。
だが、私の復帰を祝う人は一人もいなかった。
実物も人からけいえんされるなら、日記も同断だ。
今後はどんな心構えで書いていこうか。
今、頭の中はからっぽである。
もし、私の日記を、エネルギッシュだと思う人があるなら、誤解である。
書くからには元気を装うし、どうせ書くなら連日書く。
ゆえにスタミナは減っているのだ。
本物の運動をしているわけではないから、何かしら書ける。
それでもスタミナは減り続けている。
去年暮れ近くからここまでは、時々「実験日記」とでも言うべきことを行なってきた。
これも一段落の感がある。
今年は孤独に徹する年である。
孤独な生活に甘んじようという人間に何が書けるか。
大好きな兄亡きあとの生活はおだぶつを待つあいだのオマケである。
兄以外に、本心を話せる者は一人もいない。
出た大学レベルは兄がいささか優る。
とりあえずいずれも国公立理系で、対等とみなすことにする。兄よ、許されよ。
学歴レベルの対等は、会話にも影響する。
兄が私に優って、私は聞き手に回った。これを私は喜んだ。
賢兄愚弟で満足なのだった。
兄が大好きだったからだ。
本来なら兄は優秀、私はとりえなしで大人になるところだった。
兄が様々に啓発してくれた。
中学に入るころ、私は兄と同じ高校へ進むとは思っていなかった。
親も思っていなかった。
兄と同じ学力レベルで高校に臨めることになったのは、中三の時だった。
高校ではさすがに最下位をうろつくと思ったが、これも兄の良き影響で、国立大学に現役合格した。
兄は常に良き先輩であり、長じては友の如きものだった。
その兄をわずか46で失った私はぬけがら同然である。
今も、うつろな心のまま、なんとなく生きているていである。
その兄の享年を既に過ぎた。
私は未だに兄の死を承知していない。
心は既にズタズタになりきって、今はつぎはぎだらけの心で生きている。
楽天日記。これも急速にくだらなく思えてきた。
実はパソコンの具合が悪い。
この機械が壊れる時を狙って、楽天日記休筆に入ろうかとも思っている。
以前60才を視野に入れたなぞと書いたが、気力は急速になえている。
別に誰かに約束したわけでもない。
気が変わることはある。
キーボードを打つ手の動きが鈍くなった。ここでとめる。
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