十二月二十五日、土曜日づけの楽天日記では、300アクセスを軽く超えた。だが私の日記は時に人か鬼かと思わせる如き憎まれ口をきくし、絶えて久しいか、全く絶えた古人の言葉をあやつるから、近寄りがたいのかと察する。

ただし、お世話になっている想科良次さんこと、山形のたかはしよしひでさんは別格である。
彼の人柄と文章には大人の品格がある。
彼とはかなうならば、いずれ直接会って、まじめな話をしたいと願っている。

彼はパソコン掲示板で私が最後にケンカを売ってかみつき、それでいて、優にやさしい返事のメールをいただいたことから、未だに交流が続いている、得がたい人格者である。

実に昭和27年生まれの同い年。こうも大差があるかと、内心忸怩たるものがあるが、彼は出自経歴を明かさず、それでいて個人交流のメールでは、居所・電話番号すべてを明かしてなお、けんそんしているから、世の中は広いことを学ばせてもらった人だ。

いずれこの場所に、私が彼に送った読むに堪えぬケンカメールを書き記してみるが、楽天日記はガラスばりの感じがいやだ。
ゆえに私は開設当初の平均アクセス26,7を腹立たしく思い、ある者とはかって、アクセス増加計画を立ち上げて、見事とまではゆかぬものの、当初を信じられぬほどのアクセスをかせいだ。

なに、単なるゲーム感覚だ。ただし、卑劣な手段でアクセスだけかせぐ如きは一切やっていない。
私のアクセス増加計画そのものを卑劣と言えばそうなのだが、これは書いた通り、チャラチャラした飾り物が多すぎて、更に携帯電話感覚でしか文章がつづれぬ愚か者どもをあざむく目的があったから、少しは名分が立つと、我れともう一人ながら、納得している。

楽天日記につづった文面は、架空と現実の物語とがないまぜになっている。
効を奏したか、アクセスが増えたが、書き込みはなきに等しい。
ただし、たかはしさんが読んでくれている。彼はコメントをほとんどしない。これも気が楽だ。

更にたかはしさんは、日記に関して寡作だ。私は彼のこんな一面が好きだ。時々、実は楽天日記から去るのかと思うが、たまに書く。うぬぼれでなければ、私が開設し継続したことへの義理を続けてくれているのだと察する。
彼の本分は「懐かし掲示板」にある。
彼のレスにかなう者は楽天日記には一人もいない。私もその一人だ。

敵を作らぬ人だ。この浮世には実は彼のような人格が必要だ。
反対にどこがいいのか、書き込みがやたらに集まるサイトがある。
日記はつまらぬ。ここが理解出来ぬところだ。

私はわざとリンクしている。愚かな日記のどこがいいのかとさぐるつもりだったが、書き込み常連もまたバカぞろいとわかってから、書き込みにいくのをやめた。

きれいごとを書きすぎる。
以前「水はすべてを知っている」という日記があった。
ヘビメタとかいうロックを聞かせた水の結晶はみにくく崩れて、サザンオールスターズ・ユーミンを聞かせた結晶は整って美しいと書いた本のことを絶賛していたから、この女も凡夫凡婦の一人と判明した。

上二人の曲をそして人物を私は嫌悪している。
特にユーミンは、一本調子で抑揚のない歌を歌うからむしずが走る。
更にこの女は、古賀政男氏が亡くなった時、「おじさんの歌はしーらない」と、無礼極まる態度だったから、これでこの女への嫌悪は確定した。

楽天日記。相も変わらず烏合の衆が、拙い文字を羅列して、なぜか常連同士、友だちごっこを続けているから、私はあいそが尽きているが、私は私なりの流儀で、がんこにバカどもの中にまざって、一人我が道をゆくを通すつもりだ。

少なくも、たかはしさんとの交流が続くあいだは、不遜ながら、彼のためにも書く。アップしてみるが推敲せず。
きれいごと日記に集まる常連のコメントを見ると、日記内容を理解していないことがわかる。

だから、コメントはせいぜい三行だ。三行でコメントは書けない。
私はコメントの字数制限の数こそが、コラムたるにふさわしいものだとつとに思っている。
だが三行は何も書けぬ。それでも読んだフリをしなければならぬから、たとえばこんなだ。

「すてきな日記に、ハートが暖まりました。
とってもいいお話をありがとう」

これなら、誰のどんな文にも使えるから、ハンコのようなものだ。
心がこもっていないことが多分本人にも知れているはずだが、本人も気づかぬフリをして、レスを書くから、パソコン交流は友達ごっこだと断ずるのほかない。

我が国の文化衰退の元凶は携帯電話とパソコンにあるとみている。
偽善はある程度必要だが、ほどがある。
きれいごとばかりを書くな。
本心を書け。この世の無常を嘆け、いかれと言いたい。

兄を偲ぶ文は、こののちしばらく続ける。

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