亡き兄を偲ぶ、つづき
2004年12月24日兄のことを偲ぶ文面をつづる前に書いておくことがある。
77になる母が、このところめまいの発作をややひんぱんに起こすようになった。
私の夜更かしは決してほめられたことではないが、夜更かししていると、体調を崩した母が二階に上がって来て、薬などの処置を訴えることが多くなったから、夜更かしも仕方ないと思っている。
何より、持病に苦しむ母をほっておけぬ。
我が母は、私たち子供にしつけで厳しいところを全く見せなかった。
ただ甘やかしただけと言われても仕方ないが、ともかく優にやさしい母だった。
母の人生は、結婚し出産して以後、私たち子供の成長を見守り案じ楽しむものとなった。母はそれを少しも疑わず、己れの人生は子の人生とみなすようなった。
私はこの母から生まれて良かったと思っている。
母から大声で怒鳴られ、叱責されたことは一度もない。
父が性格に問題があったぶん、私たち兄弟は、母の惜しみない愛情に支えられてきた。
この母を邪険に扱うことは我が罪業となる。
成らば、サイパンへは母を連れて行きたかった。
母もまた飛行機を恐れるタチだから是非も無い。
一旦アップする。
昨晩九時過ぎ、母と上と下に別れてしばらく、私はパソコンに向かっていた。この日午後一時から冬期講習があり、休憩時間を入れても、優に三時間ほどサービス授業をしたから、いささか疲れていた。
そろそろ寝床につこうと思い、便所で用足ししていると、母が階段を上がって来た。
単に寝つきが悪く、よもやまの話をしに上がって来ることがあるが、長年のカンで、便所の戸をへだてていても、母が具合が悪くて来たことが察しられた。
父は母の病に頓着ない。病状を未だに理解しようとしない。
ゆえに母は私を頼って来る。
常備の薬を服用させ、吐き気止めの坐薬を入れさせて、既に数時間経ったが、容態はわからぬ。
さて、兄を偲ぶ日記のつづきだ。
私が今日細々ながら糊口していけるのは兄の薫陶のおかげである。
兄は学習のノウハウを的確に教えてくれた。兄がいなかったら私は鈍才のままだった。
兄は幼いころから祖父の薫陶を受けて情緒豊かな人間に成長した。
8月6日に移る。
8月6日 日曜日
兄の中学時代の日記帳が手許にずっとあった。瀬戸先生に受け持たれた中一初めから中二の九月まで書いてある貴重な遺品である。
もしかするとお兄ちゃん本人は忘れていたかもしれないが、こうしてしっかりと少年時代の記録が残っているのである。
さすがに生前は控えていたが、今初めて拾い読みをしてみると、懐かしさと共に、既に中一のころから非凡な才能をもっていたお兄ちゃんの文章表現力への驚きの念が改めてわきおこって来るのである。
「文章は常に平明であるべし」と言っていたお兄ちゃんの信念が見事に中学時代の日記に表われているのを目の当たり見ることができる。
この日記は瀬戸先生が課した宿題なので、提出用の内容になっている面もあるだろう。だからといって当時のお兄ちゃんの生活をやたらと潤色しているとは思えぬほど、簡潔明瞭かつ自然に往時の様子をつづってある。
兄が中一のとき私は小四である。私がとうに忘れたことが、兄の日記にきちんと記されていて新鮮だった。
つづく
77になる母が、このところめまいの発作をややひんぱんに起こすようになった。
私の夜更かしは決してほめられたことではないが、夜更かししていると、体調を崩した母が二階に上がって来て、薬などの処置を訴えることが多くなったから、夜更かしも仕方ないと思っている。
何より、持病に苦しむ母をほっておけぬ。
我が母は、私たち子供にしつけで厳しいところを全く見せなかった。
ただ甘やかしただけと言われても仕方ないが、ともかく優にやさしい母だった。
母の人生は、結婚し出産して以後、私たち子供の成長を見守り案じ楽しむものとなった。母はそれを少しも疑わず、己れの人生は子の人生とみなすようなった。
私はこの母から生まれて良かったと思っている。
母から大声で怒鳴られ、叱責されたことは一度もない。
父が性格に問題があったぶん、私たち兄弟は、母の惜しみない愛情に支えられてきた。
この母を邪険に扱うことは我が罪業となる。
成らば、サイパンへは母を連れて行きたかった。
母もまた飛行機を恐れるタチだから是非も無い。
一旦アップする。
昨晩九時過ぎ、母と上と下に別れてしばらく、私はパソコンに向かっていた。この日午後一時から冬期講習があり、休憩時間を入れても、優に三時間ほどサービス授業をしたから、いささか疲れていた。
そろそろ寝床につこうと思い、便所で用足ししていると、母が階段を上がって来た。
単に寝つきが悪く、よもやまの話をしに上がって来ることがあるが、長年のカンで、便所の戸をへだてていても、母が具合が悪くて来たことが察しられた。
父は母の病に頓着ない。病状を未だに理解しようとしない。
ゆえに母は私を頼って来る。
常備の薬を服用させ、吐き気止めの坐薬を入れさせて、既に数時間経ったが、容態はわからぬ。
さて、兄を偲ぶ日記のつづきだ。
私が今日細々ながら糊口していけるのは兄の薫陶のおかげである。
兄は学習のノウハウを的確に教えてくれた。兄がいなかったら私は鈍才のままだった。
兄は幼いころから祖父の薫陶を受けて情緒豊かな人間に成長した。
8月6日に移る。
8月6日 日曜日
兄の中学時代の日記帳が手許にずっとあった。瀬戸先生に受け持たれた中一初めから中二の九月まで書いてある貴重な遺品である。
もしかするとお兄ちゃん本人は忘れていたかもしれないが、こうしてしっかりと少年時代の記録が残っているのである。
さすがに生前は控えていたが、今初めて拾い読みをしてみると、懐かしさと共に、既に中一のころから非凡な才能をもっていたお兄ちゃんの文章表現力への驚きの念が改めてわきおこって来るのである。
「文章は常に平明であるべし」と言っていたお兄ちゃんの信念が見事に中学時代の日記に表われているのを目の当たり見ることができる。
この日記は瀬戸先生が課した宿題なので、提出用の内容になっている面もあるだろう。だからといって当時のお兄ちゃんの生活をやたらと潤色しているとは思えぬほど、簡潔明瞭かつ自然に往時の様子をつづってある。
兄が中一のとき私は小四である。私がとうに忘れたことが、兄の日記にきちんと記されていて新鮮だった。
つづく
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