去年の日記帳から
2004年12月19日本物の日記をつけていることは書いたが、ではどんなことをつづっているか、書いてみる。
皇紀2663年
平成15年(2003)
1月8日(水)
兄の分 雑煮一杯 よそらんと わんを持ちかけ 苦笑せる母 (同日夕刻)
4月28日(月) 午前3時
きたる5月4日のクラブツーリング参加意志表明をしたが、我が脳中は、いささか、うつうつたる気分が支配している。
又、パソコン上に日記を開設したが、こちらは見られることを意識してか、毎日書いている。
本来の日記ときたら、このざまである。
手書きのおっくうさがそうさせるにしても、パソコン日記とは大差がある。人との交流が全くないわけではない。
以上。
このツーリングで、意外にも好みのタイプの子とやや意気投合し、予想以上に楽しいツーリングとなった。
このことは前にも「さらば愛しき女性ライダーよ」と結んだが、無論楽天日記には書けない。
未だに画像を保存してあるが、本人は既にクラブをやめ、静岡のどこかに衣食しているか、あるいはポツリもらしていたように決意して結婚したかも知れない。
世間に「人見知り」しない美形の女がいることを知った経験だった。
私は一目ぼれをしない体質だ。
この子とは前月四月のツーリングが初対面だが、顔立ちの整った子だとの印象くらいだった。
ただとにかく人見知りしない。計十人ほどの中の紅一点をものともせず、自然に溶け込んでひとときを明るくした。
そして五月、この子をあっさりと奪い去る強敵が都合で不参加だった。
ただし、私は何も考えてはいなかった。
年のせいとしか思えぬ。
一番目の目的地へついた時、自然デジカメのシャッターをその子に向けておろしていた。
次の目的地は食事も兼ねていた。
ここで我れにもあらず、容姿容貌礼賛の嵐を見舞った。だが自然にだ。
何と言ったか記憶にないが、女の年齢を35と聞いたのがきっかけだったような気がする。
35ならトウが立つ年齢だ。「25,6ぐらいにしか見えないよ。ルックス、スタイル抜群だね。ロングヘアーがお似合いだよ。あ、その髪の毛、少し茶がかかってみえるけど、ひょっとして茶髪 ? 」
などと連発したようだ。とたんに女はけらけら笑い転げた。これで当日のお相手は自分だとなぜか悟れた。
ほとんど一緒に肩を並べて歩いた。
更に「その美形でせっかくバイク乗って来たんだ、もったいない。モデルみたいだから、写真撮ろうよ」と誘うと、気軽にオーケー、ポーズ取らせて、5,6枚は撮ったか。最後の一枚を覚えている。ニックネームを呼んで、バイクにまたがらせ、顔だけこちらを振り向かせてほほえませ、撮った。やや暗く撮れていることがあとからわかり、やや残念。
帰りも国道一号バイパスが一緒だった。やがて私は富士東インターで降り、ここで合図をして、手を大きく振ると、女も振り返りつつ、手を振って返した。
これが別れと思った。彼女のバイクはホンダCB400Vテックといういいバイク。私とほとんど変わらぬ長身ではあるが女なればきゃしゃだった。
それでいてこの400ccを巧みに扱って、気さくなところを見せて、終始飽きさせなかった。
ツーリングで知り合うと、メールアドレスを簡単に告げてくれるようだ。
まもなく、「先日の写真を送って下さいな」とのメールが届いた。
私は初め、添付メールとして画像を送ったが、のち気は心と、現像に出して、鮮明写真をそろえ、当時のバイク仲間に託して去った。
それゆえ、手元に女の写真が保存してある。
以後、お互い音信がない。
結婚すると言っていたから、あるいはしたかも知れない。
下心なきつかの間の出会いと別れだったが、女は私なぞ元々眼中になかったから、これは気が楽だ。
皇紀2663年
平成15年(2003)
1月8日(水)
兄の分 雑煮一杯 よそらんと わんを持ちかけ 苦笑せる母 (同日夕刻)
4月28日(月) 午前3時
きたる5月4日のクラブツーリング参加意志表明をしたが、我が脳中は、いささか、うつうつたる気分が支配している。
又、パソコン上に日記を開設したが、こちらは見られることを意識してか、毎日書いている。
本来の日記ときたら、このざまである。
手書きのおっくうさがそうさせるにしても、パソコン日記とは大差がある。人との交流が全くないわけではない。
以上。
このツーリングで、意外にも好みのタイプの子とやや意気投合し、予想以上に楽しいツーリングとなった。
このことは前にも「さらば愛しき女性ライダーよ」と結んだが、無論楽天日記には書けない。
未だに画像を保存してあるが、本人は既にクラブをやめ、静岡のどこかに衣食しているか、あるいはポツリもらしていたように決意して結婚したかも知れない。
世間に「人見知り」しない美形の女がいることを知った経験だった。
私は一目ぼれをしない体質だ。
この子とは前月四月のツーリングが初対面だが、顔立ちの整った子だとの印象くらいだった。
ただとにかく人見知りしない。計十人ほどの中の紅一点をものともせず、自然に溶け込んでひとときを明るくした。
そして五月、この子をあっさりと奪い去る強敵が都合で不参加だった。
ただし、私は何も考えてはいなかった。
年のせいとしか思えぬ。
一番目の目的地へついた時、自然デジカメのシャッターをその子に向けておろしていた。
次の目的地は食事も兼ねていた。
ここで我れにもあらず、容姿容貌礼賛の嵐を見舞った。だが自然にだ。
何と言ったか記憶にないが、女の年齢を35と聞いたのがきっかけだったような気がする。
35ならトウが立つ年齢だ。「25,6ぐらいにしか見えないよ。ルックス、スタイル抜群だね。ロングヘアーがお似合いだよ。あ、その髪の毛、少し茶がかかってみえるけど、ひょっとして茶髪 ? 」
などと連発したようだ。とたんに女はけらけら笑い転げた。これで当日のお相手は自分だとなぜか悟れた。
ほとんど一緒に肩を並べて歩いた。
更に「その美形でせっかくバイク乗って来たんだ、もったいない。モデルみたいだから、写真撮ろうよ」と誘うと、気軽にオーケー、ポーズ取らせて、5,6枚は撮ったか。最後の一枚を覚えている。ニックネームを呼んで、バイクにまたがらせ、顔だけこちらを振り向かせてほほえませ、撮った。やや暗く撮れていることがあとからわかり、やや残念。
帰りも国道一号バイパスが一緒だった。やがて私は富士東インターで降り、ここで合図をして、手を大きく振ると、女も振り返りつつ、手を振って返した。
これが別れと思った。彼女のバイクはホンダCB400Vテックといういいバイク。私とほとんど変わらぬ長身ではあるが女なればきゃしゃだった。
それでいてこの400ccを巧みに扱って、気さくなところを見せて、終始飽きさせなかった。
ツーリングで知り合うと、メールアドレスを簡単に告げてくれるようだ。
まもなく、「先日の写真を送って下さいな」とのメールが届いた。
私は初め、添付メールとして画像を送ったが、のち気は心と、現像に出して、鮮明写真をそろえ、当時のバイク仲間に託して去った。
それゆえ、手元に女の写真が保存してある。
以後、お互い音信がない。
結婚すると言っていたから、あるいはしたかも知れない。
下心なきつかの間の出会いと別れだったが、女は私なぞ元々眼中になかったから、これは気が楽だ。
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